「モレク神」(99)、「太陽」(05)など、数々の問題作で知られるロシアの鬼才、アレクサンドル・ソクーロフ監督が、旧ソ連時代の1989年に発表した作品のディレクターズカット版である。91年に製作されたクロード・シャブロル監督の「ボヴァリー夫人」は、原作の構成を生かしたオーソドックスな作品だった。これに対して、本作は原作を大胆に解体し、ソクーロフ独自のスタイルへと再構築。従来のエマ像とはひと味もふた味も違う“異形の”ヒロイン像を生み出している。
冒頭、出入りの商人ルウルーに勧められるまま、装飾品を購入する主人公のエマ・ボヴァリーが映し出される。豪華な扇子を手にしてうれしげな表情を見せるでもなく、物憂げに「買うわ」と告げるエマの不安定で退廃的なたたずまいに、やりきれないムードが立ちこめる。
次の場面で映し出されるのは、エマと夫のシャルルがベッドで性交している姿である。“愛し合っている”とか“睦(むつ)み合っている”とかいう態ではなく、いかにも即物的なピストン運動。シャルルが性欲を処理するのみで、エマはまったく快楽を感じていないように見える。そして、会話のない食事。うなりを立てて部屋を飛び回る無数のハエが、食器やパンにたかっている。
二つのシーンに凝縮されているのは、エマの退屈きわまりない日常生活である。窓から見えるのは片田舎の荒涼とした風景だ。エマの周りには、彼女の心を安定させ、高揚させる要素が完璧なまでに欠落している。
そんなエマが、金持ちのプレイボーイ、ロドルフとの不倫をきっかけに、抑圧してきた欲望を解き放っていく。無粋な夫とは対照的なロドルフとの情事に夢中になるエマ。しかし、やがて2人の関係は破局を迎える。傷心の日々を過ごしていたエマだが、かつて恋心を燃やした青年レオンと再会すると、今度は彼との情事におぼれていく。しかし、レオンとの逢い引きに大金を注ぎ込むエマは、莫大な借金を抱え込み、窮地に追い込まれる。逃げ場を失ったエマは――。
エマを演じているセシル・ゼルヴダキは、ソクーロフ監督がロカルノ映画祭開催中に街で出会った素人女性だそうだが、その強烈な存在感には圧倒される。シャブロル版のイザベル・ユペールとは対極の、いわゆる美女とは言い難い個性的な容姿は、“こわれゆく女”の狂気と退廃をリアルに表現するうえで、強力な武器になり得ているように思える。
監督の要請で15キロ減量したという肉体の、中年女性らしいくたびれた感じがまたいい。垂れ下がった乳房、張りのない尻。それでいて官能的なのはなぜだろう。画面には、エマと相手の局部を露出した全裸が、堂々と映し出される。これが「ボヴァリー夫人」か、だって? そう、これこそが「ボヴァリー夫人」なのだ!
(文・沢宮亘理)
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「ボヴァリー夫人」(1989=2009年、ソ連=ロシア)
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:セシル・ゼルヴダキ、R.ヴァーブ、アレクサンドル・チェレドニク、B.ロガヴォイ
10月3日、シアター・イメージフォーラムほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.pan-dora.co.jp/bovary/