アジアのドキュメンタリー映画界を代表する賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督。新作「四川のうた」では、50年の歴史に幕を降ろした巨大軍事工場を舞台に、ドキュメンタリーとフィクションの境界に踏み込んだ。歴史とはなにか。記憶とは何か。言葉とは何か。ジャ監督は「最初から最後まで、人の『語り』を大事にした」と話す。
「歴史とは、事実と記憶の混合物である」
アジアのドキュメンタリー映画界を代表する中国人監督、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、果敢で大胆な挑戦を続けている。ベネチア国際映画祭で金獅子賞(最高賞)を獲得した「長江哀歌」(06)では、三峡ダム建設に翻弄される人々を追い、続く「無用」(07)では急速に発展する中国の服飾・繊維産業に焦点を当て、同映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。前者はフィクション、後者はドキュメンタリー。公開中の最新作「四川のうた」ではさらに一歩踏み込み、フィクションとドキュメンタリーの境界の可能性を模索する。
「四川のうた」の舞台は、四川省の省都・成都。2008年までの50年間、最盛期には労働者約3万人を抱えた巨大軍需工場「420工場」が主人公だ。日比谷公園3個半分の敷地(約56万平方メートル)に、幼稚園から小中高校、映画館からプールまで兼ね備え、労働者の“揺りかごから墓場まで”面倒を見た巨大な生活共同体である。監督はかつての労働者を中心に、「420工場」にかかわった約100人にインタビューした。
最も興味深い点は、記録映像の合い間に俳優4人による演技=フィクション映像が盛り込まれた点だ。彼らの口から出る「架空の証言」は、監督がインタビューした人々の「記憶のエッセンス」で構成されている。
改革開放による急激な社会変化を受け、解体される工場を前に、かつての労働者たちが記憶をたぐる。彼らの言葉は、絶え間ない変動にさらされてきた、十数億の民の記憶そのものである。監督は言う。
「人々が語る『言葉』に回帰したかった。語りはカメラがとらえる『動き』の一つ。私は語りによって、話し手の感情と経験につなげようと思った」
監督が考える「事実」とは何か。「歴史」とは何か。「記憶」とは何か。そして「言葉」とは何か。映像と語りの可能性、挑戦の行方を探る。
主な一問一答は次の通り。
──あなたの「歴史を知ることによって、現在と未来を知る」という言葉について、詳しく聞かせてほしい。
私が言った「歴史」とは、近代史を差す。清朝末期以降、中国はずっと近代化を目指してきた。北京五輪を開催したことで、政府は「近代化は達成された」と強調したが、計画経済から市場経済へ、100年の変化の一部だと考えると、違ったものが見えてくる。
「四川のうた」の終盤、登場人物の女性が「たくさん稼いで、親にマンションを買ってあげる」と言った。これはもともとなかったセリフで、演じた女優が自らの心情に基づいて口にしたものだ。役になりきっていて、ポロっと出た。私は衝撃を受けて興奮した。(彼女の言葉は)経済一辺倒の中国人の現状を表している。
中国では「集団」が優先された時代が長く続き、個人個人が自分のために金を稼ぐ機会がなかった。人々の生活は苦しく、豊かさを享受する状態になかった。今の中国人は、昔手に入らなかったものを「取り返したい」思いなのではないか。たとえば人を誘拐して強制労働させるような炭鉱が、中国にはいくつかある。裏には金を搾取する人間がいる。なぜそんなことが起こるのか。今まで「搾取された」ものを取り返そうとする人間が多くいるからではないか。
私は何を見ても、歴史と関連づけて考えてしまう。「四川のうた」では、「420工場」が取り壊された。「長江哀歌」は、(三峡ダム建設で)町が壊される話だった。なぜ壊されるのか。中国では、文革の時代も、「五四運動」の時代も、古い物が否定された。今を理解するには、歴史について考えることが大切だと思う。
──取材対象者から、自然な言葉を引き出す秘訣は。
取材を始めた頃は、とても難しかった。これほど多くの人にインタビューをするのは初めて。彼らはみな自分の話をしようとしなかった。なぜなら自分のことを大切だと考えていないから。「全体」のために生きた時代が長過ぎて、彼らは「僕の話なんか聞いてどうするの」と思い、他人の話ばかりしてくれる。「私は特別な人生を知りたいわけではない。ごく一般的な人々の、普遍的な、当たり前の人生が知りたい」ことを理解してもらうのに時間がかかった。
取材する人たちの買い物に一緒に行き、マージャンにもつきあった。短い時間で自分のことをを知ってもらう必要があったから。言葉を交わす中で、彼らの人生のポイントを注意深く聞いていった。
──フィクションとドキュメンタリーの関係について聞きたい。登場する俳優4人の演技を演技と気付かず、すべてドキュメンタリーだと信じる観客もいると思う。見る側が二層化する可能性は、想定していたことなのか。
(観客の二層化は)想定していなかった。国外の人にも知られている俳優を起用した。取材した人すべてのエピソードを作品に入れることはできないので、フィクション部分として話のエッセンスを入れることができた点がよかったと思う。
──撮影対象者を探すまで苦労はあったか。
私は成都で生活したことがなく、友達もあまりいなかった。また、「420工場」の存在自体が政府の機密扱いで、取材の糸口がなかなかつかめなかった。そこで地元紙に「ある映画監督が420工場の歴史を知りたがっている」と広告を出したところ、たくさん電話がかかってきて、工場にまつわるさまざまな話を聞くことができた。取材は自分の主観を検証するためではない。彼らの話を聞くことに徹した。
──今後新たに取り組みたい表現方法はあるか。中国の人々が、急激な変化や困難を乗り超える支えとなっているものは何だと思うか。
「四川のうた」は、撮影から編集まで、手法をどうするか流動的だった。初めは単純な記録映画にするつもりだったが、その後「フィクション的なものを入れよう」と考えるようになった。
最初から最後まで、人の「語り」を大事にした。取材した多くの人が、当時聞いた歌や音楽について話した。歌は人間の記憶と密接にかかわるものだと思い、随所に盛り込んだ。取材対象を動画に収めた後、肖像写真を撮るように静止画も撮影した。動きのない映像は、厳粛な空気を発する。私自身が取材相手を尊重することにつながるものだった。撮影は最初から方法論はなく、自然にいろいろ取り込んでいった。今回のような自由なやり方を、今後も探っていければいいと思う。
(時代が急激に変化する中で)私より年配の人々は、生きていくのが本当に大変だったと思う。ある程度年をとってしまうと、仕事を探すのもひと苦労だ。いつも集団で生活していた人たちが、急に「個人個人で頑張りなさい」と言われて戸惑う。働くことには食べることのほか、プライドを守る役割もある。社会状況が急激に変化し、職を失って新しい仕事に就いても、多くの人は新しい環境に適応する準備ができていない。「ここは自分の居場所ではない」と、違和感を感じる場合が多い。では、何を支えに人は生きていくのか。改めて自分で苦しみ、自分の足で立つことではないか。自分自身の努力や苦労が支えとなり、新しい一歩を踏み出せるのだと思う。
──滅びゆくもの、失われるものに魅力を感じるか。
消えていくものに魅かれる部分はある。工場の中の「時間の形跡」を撮る時、物が「さよなら」と言っているような気がした。物質的な物は必ず壊れる。取材する中で、多くの労働者が涙を流した。時間は絶対戻らない。人は必ず老いて死んでいく。昔を語れば、必ず感傷が伴う。工場という一つの場所は、人の一生と代わらないのではないか。
挿入歌にした(台湾の歌手で作品の音楽担当)林強(リン・チャン)の歌詞に、「さよならには言葉がない」「君に二度と会えないかもしれないが、君は僕の心の中にある」とあった。人生を経てきた言葉だなあ、と思う。
中国には「あの年、あの時代」をすぐ想像できる歌がいくつもある。取材した労働者たちに、語ってくれた出来事の正確な年を覚えていた人は少なかった。たとえば「山口百恵の、あの曲が流行していた」と、歌に結びつけて話したんだ。
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「四川のうた」(2008年、中国・日本)
監督:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)
出演:陳冲(ジョアン・チェン)、呂麗萍(リュイ・リーピン)、趙涛(チャオ・タオ)、陳建斌(チェン・ジェンビン)
4月18日、渋谷・ユーロスペースほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.bitters.co.jp/shisen/
写真1:「中国では『集団』が優先された時代が長く続き、個人個人が自分のために金を稼ぐ機会がなかった。今の中国人は、昔手に入らなかったものを取り返したい思いなのではないか。最初から最後まで、人の『語り』を大事にした」と話すジャ・ジャンクー監督=東京都内で2月、筆者撮影
写真2:「四川のうた」



