2008年10月09日

釜山国際映画祭 日韓合作に活路

イ・ミンギ×池脇千鶴主演 北海道ロケの「おいしいマン」

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 今年の釜山国際映画祭では「韓国映画の今」と題し、公開前の新作や今年公開された話題作、若手監督によるインディペンデント映画が上映された。

 不況に苦しむ韓国の映画界は、国境を越えた合作や優れたクリエーターの養成などで厳しい現状を打開しようとしている。特に、マーケットの拡大につながる合作への注目度は高い。海外作品のロケを誘致したい日本各地の自治体にも合作は魅力的で、今後も増え続けていきそうだ。

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 釜山映画祭で初公開された日韓合作の「おいしいマン」(キム・ジョンジュン監督)のケースを取材した。

 耳が聴こえにくくなる症状が出てから何ごともうまくいかず、将来に希望が持てなくなった歌手・ヒョンソク(イ・ミンギ)は、あてもなく北海道の小さな町を訪れる。そこで出会ったのは古い旅館を経営するメグミ(池脇千鶴)。酒とタバコが大好きで料理が苦手な明るい女性だ。ヒョンソクは静かな町を歩いたり、メグミと船で流氷を見に行ったりして数日間を過ごしながら、ソウルでの日々を回想する。真冬のオホーツク海から吹き付ける冷たい風と雪の中で、言葉は通じなくても同じ痛みを持った二人の心は次第に通い合っていく──。

 作品の半分以上を占める北海道ロケは今年3月1日から15日まで、オホーツク海側の紋別(もんべつ)市で行われた。韓国から約30人が来日し、日本側から製作スタッフとして約20人が参加した。

 原案は韓国で人気の歌手、キム・C。紋別を旅行で訪れたキム・Cが「この町を舞台に歌手のストーリーを作りたい」と提案したことがきっかけとなった。メガホンを取るキム・ジョンジュン監督は何度も紋別を訪問し、シナリオを練った。撮影から7ヵ月。釜山映画祭での初公開には日本側のスタッフらが駆けつけ、完成作を見守った。
 
 紋別市は流氷観光で知られる。例年は2月までがシーズンで、それ以降に流氷が接岸することはまれだ。ところが珍しいことに今年は3月に流氷が到来。流氷の映像をあきらめかけていた韓国側のスタッフを大喜びさせた。

 北海道ロケには札幌のロケーションサービス会社「風の色」が製作スタッフとして参加し、オホーツク紋別フィルムコミッションが全面的にバックアップした。同フィルムコミッションは2002年に発足しコマーシャル・フィルム(CF)撮影などをサポートしてきたが、映画は今回が初めて。市職員でもある同フィルムコミッション事務局次長、船木哲夫さんは「初めてのことで試行錯誤の繰り返しだった。紋別での撮影にあたり、地元の経験豊富なスタッフを入れることを条件にしたことが良かった」と振り返る。

 日韓のスタッフの考え方の違いから、当初はピリピリしたムードも漂った。日本側スタッフの提案で、ロケの折り返しとなる1週間目に全員でホルモン焼きを囲み酒をくみ交わしたところ、この日を境に急速に“雪解け”が進んだという。日本側の製作責任者を務めた「風の色」の小野隆基さんは「最初の数日は日韓スタッフの板ばさみになり苦労したが、日を追うごとに和気あいあいとした雰囲気になってきた」と笑顔で話した。

 市民ボランティアの存在も欠かせなかった。冬祭りや流氷砕氷船のシーンには、のべ210人の市民がエキストラで参加。ロケ隊の食事を用意するケータリング班は6グループ、60人に上った。スタッフの宿泊費や食事代などを含めた経済効果は約1100万円。フィルムコミッション側は今後、ロケ地の観光マップを作って韓流ファンの誘致も行う。

キム・ジョンジュン監督に聞く
 キム・ジョンジュン監督は同作品が2本目の長編映画。合作は初めてというキム監督に、撮影時の苦労や作品の見どころを聞いた。

 ──キム・Cが原案の作品。監督を務めることになったきっかけは。

 彼が旅行で行った紋別を気に入り、「ここで歌手を主人公にした映画を撮りたい」と話したのが2年前。自分はコメディー映画を撮りたかったので、イメージに合わないと思っていたが、実際に紋別を訪れ、その静けさにひかれた。撮影に入る前に4回、冬の紋別を下見し、そのたびにシナリオを修正していった。最初に行った時は流氷以外には見どころが何もない場所だと思ったが、行くたびに違う風景に出会い、毎回新しい発見があった。ある時は海が結氷し、ある時は歩けないほど強い風が吹いていたりと気候の変化が大きいのも、多様な風景を作っていた。中でもメグミの旅館になった建物(開拓時代に駅と旅館を兼ねていた木造建築で、現在は文化財として保存されている)を見つけられたのはラッキーだった。

 ──当初予定していた2月から3月に撮影がずれ込んだが、影響は。

 予算が足りなくて北海道入りが遅れてしまった。2週間という短い日程で予定の撮影をすべて終えるのは大変だった。天気を待つ余裕がないので、撮影予定のシーンに天気が合わなければ別のシーンに変えることも多かった。俳優の衣装の準備がすっかりできてから別のシーンに変更したこともあった。俳優やスタッフには本当に苦労をかけた。3月の撮影となり流氷砕氷船に乗るシーンはあきらめなくてはと覚悟していたが、到着4日目に流氷が来た。天の助けだと思った。

 ──イ・ミンギは初めての主演映画だ。

 コメディーのイメージが強い俳優だが、自分の周りでは「この作品で本当の役者になった」という人もいる。それほどの演技を見せてくれた。

 ──池脇千鶴演じるメグミは明るさの奥に悲しみや苦しみを秘めているが、なぜこの設定にしたのか。また、池脇千鶴の印象は。

 実際に紋別を訪れ、ここで生活するのは大変だと思った。厳しい自然の中では強い心を持っていなくては住めないと考えた。心に傷や複雑な思いを抱えていても、明るく生きる人間を描きたかった。池脇千鶴はスタッフの多くが外国人という環境の中、ハードな撮影スケジュールをよくこなしてくれた。見た目はキュートだが中身はしっかりしていて、とても賢い女優だ。

 ──音を失いかけている歌手、音のない町、船が流氷を砕く音。この映画で“音”は重要なファクターだ。

 紋別は“世界でいちばん静かなところ”。その中で誰かを待つ音、世間を人間が回っていく音、そんなものを表現したかった。

 ──互いに名前も知らないまま、二人が空港で別れるシーンが印象的だ。

 言葉が通じても心が通じないこともあれば、言葉は通じなくても心が通じることもある。二人は言葉を越えて心が通じた。だが、陳腐なロマンスものにはしたくなかった。誰にとっても生きるのは楽ではない。互いに相手を思いやり、慰め合い、心が通じても離れていかなくてはいけない。その思いが、彼や彼女をまた少し強くさせる。この映画は“大人の成長物語”と言えるだろう。

 ──監督にとっては初めての合作映画。どう製作しようと考えていたか。

 これまで外国と合作したドラマや映画には、ストーリーが単純で幼稚なものも多かった。今までにない合作映画にしたいと思っていた。

 ──日本と韓国ではロケ現場の雰囲気もやり方も違うそうだが、戸惑いはなかったか。

 日本のスタッフは責任感が強いと聞いていて、心配はしていなかった。あまり一生懸命にやってくれるのでかえって申し訳なかったほどだ。撮影スケジュールの変更も多く、スタッフには迷惑をかけた。紋別市やオホーツク紋別フィルムコミッションの助けがなければ、映画は完成しなかっただろう。また、エキストラや食事のケータリングで協力してくれた市民の皆さんには、いくら感謝してもし足りない。映画界の友人たちから「日本のロケ現場では冷えた弁当が出る」と聞いて心配していたが、ボランティアの皆さんがカニ汁や魚のつみれ汁など温かいものをいつも用意してくれ、そのおかげで寒い中でのハードな撮影を乗り越えられた。時々はパジョンなど韓国料理も作ってくれた。実際においしい料理ばかりだったが、それと同時に皆さんの心遣いに“心がおいしかった”。

(文・芳賀恵)

写真1:「おいしいマン」の居酒屋でのロケ。主役の池脇千鶴、イ・ミンギの二人がテーブルに座る=北海道紋別市で3月、オホーツク紋別フィルムコミッション提供
写真2:ボランティア市民との記念撮影。前列右から3人目が池脇千鶴、後列右端がキム監督、同右から3人目がイ・ミンギ=同
写真3:釜山映画祭での初上映後、再会したキム監督(左端)と北海道のスタッフ=韓国釜山市で10月6日、筆者撮影
写真4:屋外で行われたイ・ミンギの撮影=北海道紋別市で3月、オホーツク紋別フィルムコミッション提供
写真5:ボランティアと=同
写真6:撮影中のキム・ジョンジュン監督=同
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 釜山国際映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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