今年の米アカデミー賞で作品賞、監督賞など11部門で候補となっている「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」のアン・リー(李安)監督がこのほど来日し、東京都内で記者会見した。リー監督は「少年がいかに成長するか。神をどうとらえるか。純粋さ、空想の力とは何か。パイは万人を表す存在だ」と語った。
「ライフ・オブ・パイ」は、カナダの作家ヤン・マーテルのベストセラー小説「パイの物語」の映画化。インド人の少年パイがトラとともにボートで太平洋に流され、困難を乗り越え生き抜く様子を描く。大海原に展開する迫力の3D映像、温かく崇高な物語が印象的だ。2月25日発表の第85回米アカデミー賞では、12部門で候補となった「リンカーン」(スティーブン・スピルバーグ監督)とともに注目を集めている。
米アカデミー賞「受賞なら同僚に感謝できる」
主なやり取りは次の通り。
──アカデミー賞は監督にとってどんな存在か。
世界中の人々が見る、世界最大のショーだ。芸術的に最高の作品が受賞するわけではないが、まず(審査員が映画業界関係者なので)同業者に認められたことになる。世界の人々の前で発言もできる。ともに作品を作った同僚たちに感謝の言葉を述べられることが最高の名誉だ。
アカデミー賞は一度獲ると、一生肩書きについて回る。以前(米大リーグのニューヨーク・)メッツの始球式に参加した時も「アカデミー賞のアン・リー」と紹介された。投球が真ん中にいってしまったのは、プレッシャーに負けたせいかもしれないね(笑)。
──吹き替え版でパイの声を担当した本木雅弘さんの印象は。
本木さんは素晴らしい映画人。尊敬している。「シコふんじゃった。」(92)のころからのファンで、(米アカデミー賞外国語作品賞を獲った)「おくりびと」(08)も妻は8回、私は2回見た。
非常に繊細な部分を表現できる人。自分の人生をきちんと生きている。私のようにどん欲に映画を撮るのではなく、自分の生活を持ち、芸術的な作品で自己表現できる。だから人を感動させられる。作品に参加して下さり感謝している。
「抽象的な力、愛情、哲学的な部分。描くのは大変だった」
──監督はこれまで文化的なギャップや、他者とどう共存するかを描いてきた。今回の主人公は一人の旅する少年だ。彼のどこに焦点をあて、何を引き出し、物語にしたいと思ったか。
私は基本的にドラマを演出する監督だ。人間性や対立を観察して物語を作る。人が人とどうかかわり、何が正しいか。人間のセンスや感性、どう自分に忠実に生きるかを描いてきた。監督として自分の内面をいかに外に出すかだ。
今回の作品は漂流がテーマ。トム・ハンクスも主演してない(笑)。いかに見ごたえあるものにするか。トラがいたからできた部分もある。
「パイ」には「割り切れない数字」の意味もある。パイは万人を表す人物だ。漂流して社会や人との交流を断たれ、組織だった宗教心も持っていない。海上で抽象的な意味での神と対面する。宗教心や信仰を持たない人が、神をどうとらえるか。すべてを取り仕切る存在と受け取るか、神は自分の中に存在するととらえるか。二つのどちらかだ。私はパイをすべての人間を象徴するキャラクターにしようと考えた。
パイは安全な環境で育ったが、楽園を失い試練を受ける。彼がどうサバイバル本能を使うか。“リチャード・パーカー”(トラの名)も一つの試練といえる。パイが純粋さを喪失し、いかに大人になるか。純粋さや空想の力とは何か。抽象的な力、愛情、哲学的な部分を描くのは大変だった。
(作品の完成は)俳優の力によるところが大きい。脚本はとても抽象的で、色をつけたのは俳優だ。作品には父や母が象徴するもの、心理的なシンボルを盛り込んだが、それを私が解説してしまっては面白くない。映画を見て感じてほしい。
パイ役の少年 初対面で「彼はカメラに愛される」
──パイ役の少年は演技経験がない素人だ。起用の理由と演出方法は。
(演出では)かなり鍛えた(笑)。「16歳のインド人スター」はいないので、新人を見つけるほかなかった。インド各地の高校を回り、3000人規模のオーディションを3回。台本読みやインタビューを経て12人にしぼった。(主演のスラージ・シャルマを)ムンバイで初めて見た時、「パイだ!」と思った。事前にパイの具体的なイメージはなかったが、彼はすべて持っていた。魂があふれた深い瞳。「彼はきっとカメラに愛される」と思った。
演技テストでは与えた状況を信じて入り込み、抜け出せなくなるほどだった。身の上話をする独白部分を自分の家族に置き換え読ませたところ、最後は震えて泣き出した。「彼こそパイだ」と確信した。
ただし彼は泳げなかった。デリー育ちで海を見たこともなかったので、3カ月ほど水泳の訓練をした。悟りを開いたのか、前世での経験があるのか。とても自然体で、撮影1週間ほどで小さなブッダのようになった。彼との仕事は私にとって最高の体験だった。
撮影が進むにつれ、演技はぐんぐん上達した。海上の撮影で足が鍛えられ、3カ月の間に体重は落ちていった。最後は自分の内なる狂気と戦い、必死で正気を保とうとしているように見えた。私もあえて誰とも話をさせず、孤立させたので、どんどん精神的な世界に入り込んでいった。
彼が純粋に状況を信じる姿を見て、私たちも初心に帰った。信じることの大切さなど、多くのことを学ばせてもらった。
「アジアの表現で米国、世界に影響力を」
──アカデミー賞では「リンカーン」が最大のライバルになる。将来台湾についての映画を撮るつもりはあるか。
「リンカーン」など恐れていません(笑)。今回の作品はとても変わったプロジェクトで、作品が完成しただけで満足だ。賞はボーナスのようなもの。映画の仕事にかかわり20年になるが、この作品を通じて友人もたくさんでき、幸せだった。11部門で候補になっただけで名誉なので、もし受賞してしまったらスピーチが心配(笑)。
「ライフ・オブ・パイ」は英語作品だが、アジア映画だと思っている。実際にアジア各国で(興行的に)成功を収めている。アジアの表現で世界、特に米国に影響が与えられる時代が来た。いい企画があれば台湾でも撮りたいと思う。
(文・写真 遠海安)
「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」(2012年、米国)
監督:アン・リー
出演:スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、ジェラール・ドパルデュー
1月25日、TOHOシネマズ日劇ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.foxmovies.jp/lifeofpi/
作品写真:(C)2012 Twentieth Century Fox



