韓国サムスン電子の半導体工場で働く従業員の健康被害をテーマにした「もう一つの約束」(キム・テユン監督)が2月6日、韓国で公開される。
サムスン電子といえば、日本の電子メーカーのお株を奪って世界的成長を遂げた韓国のナンバーワン企業。韓国メディア産業への影響力も絶大で、その権力は政権よりも強いと言われるほどだ。それほどの巨大資本、それも韓国経済を支えるIT産業の暗部を正面から告発するのはたやすいことではなく、製作スタッフは市民ファンドで製作費をまかない、支援の輪を広げて一般公開を実現させた。
サムスン工場の実話もとに
「もう一つの約束」は、実在の人物をモデルに、現在進行形の問題を描いている。サムスンの半導体工場の従業員が相次ぎ白血病にかかり、家族が労働災害認定を求めて企業側と係争中の問題を扱っている。
物語は、田舎町でつつましく暮らす4人家族を中心に展開する。高校3年生の娘ユンミ(パク・ヒジョン)は国内最大手企業の半導体工場に就職が決まり、タクシー運転手の父親サング(パク・チョルミン)や母親ジョンイム(ユン・ユソン)、弟ユンソク(ユ・セヒョン)を喜ばせる。だが2年後、ユンミは白血病と診断されて家に戻ってくる。訪ねてきた人事管理担当者は「辞表を出せば慰労金を支払う」と言い、ユンミと家族は治療費を得るため、やむなく申し出に応じる。
結局、ユンミは発病から2年後に亡くなった。その後、ユンミの複数の同僚も同じ病気にかかったことを知ったサングは、娘が不十分な安全管理のため、工場で使われる化学物質の影響を受けて発病したことを確信。労災認定を求めて企業側を訴えるが、企業側は「発病は個人的な問題」と冷淡な対応をとる。一個人が大企業を提訴しても勝ち目はないと思われたが、孤独な戦いを続けるサングに賛同する人は次第に増え、壊れかけた家族の絆(きずな)も戻っていく――。
映画のモデルとなったのは、サムスン半導体工場の元従業員ファン・ユミさん(07年死亡)と、娘の死後にサムスンを訴えた父親のファン・サンギ氏。映画に描かれているように、ユミさんの同僚数人も白血病を発症。その後の調査で劣悪な労働環境が指摘されたが、サムスン側は責任を認めていない。サンギ氏は11年6月の一審判決では勝訴したものの、相手側が控訴し、現在も係争中だ。支援団体「パノルリム」によると、サムスンの半導体工場で働いて白血病を発症した患者は、判明しているだけで11人にのぼるという。
釜山映画祭でプレミア上映
「もう一つの約束」は、昨年10月の釜山国際映画祭でワールドプレミア上映された。上映後の質疑応答には出演者と製作者が勢ぞろいし、満員の観客を沸かせた。
サング役のパク・チョルミンは、自身も娘を持つ父親。「シナリオを読んで感動した娘に出演を強く勧められた」と明かした。韓国ではコメディー映画の名バイプレーヤーとして欠かせない存在だが、この映画では、娘の無念を晴らすために孤軍奮闘。家族思いで真摯(しんし)な父親を熱演している。ユンミ役のパク・ヒジョンは、白血病の治療で髪が抜ける設定のため、髪をすべて剃って撮影に挑んだ。若手女優には覚悟のいる体験だったが、「そのおかげで亡くなったユミさん、遺族の思いに共感することができた」と振り返った。
映画の完成までには紆余曲折があった。ユン・テユン監督は「この映画の構想を聞かせると、誰もが反対した」と振り返り、直接的な圧力はなかったとしながらも、さまざまな“自主規制”があったことを明らかにした。象徴的な例がタイトルだ。当初の「もう一つの家族」は、サムスンの広告のキャッチコピー。公開時に「もう一つの約束」に変わったのは、何らかの“要請”があったためであることを、キム監督はインターネット新聞「オーマイニュース」のインタビューで示唆している。
サムスンの半導体工場の健康被害問題は、すでにドキュメンタリーや新聞報道などで伝えられている。あえて劇映画にした理由について、キム監督は「劇映画にしかできない効果的な表現」を挙げた。映画には、企業の担当者がユンミの自宅を訪ね、多額の慰労金を条件に提訴を思いとどまらせようとするシーンや、自宅で倒れたユンミが父親の車で病院に向かう途中に息をひきとるシーンがある。このようにドキュメンタリーでは追いきれないシーンを描き、登場人物の感情に観客が寄り添える映画にするのが監督の狙いだった。
製作費は市民ファンドで
このテーマがナーバスに受け止められたのは、ひとえにサムスンの強大な力のためだ。サムスンはグループ全体で韓国の国内総生産(GDP)の2割以上を占め、韓国経済の成長を左右する存在。グループの総売上高の6割を稼ぎ出すサムスン電子の力はとりわけ大きく、スマートフォンや家電の広告出稿量だけを見ても、映画やテレビ、新聞などメディア産業に及ぼす影響が巨大であることが分かる。
当然、投資者が尻込みすることが予想されたため、キム監督らは早い段階で製作費を市民ファンドで補うことを決めた。「製作トゥレ」(『トゥレ』は地域共同体の相互扶助を意味)と呼ばれる、インターネットで資金を募るクラウド・ファンディングだ。5000ウォン(約466円)から出資を受け付け、金額に応じて試写会の招待券やエンドクレジットへの名前の記載、DVD贈呈などの特典をつける。2月4日現在、8116人が3億9655万ウォン(約3700億円)を募金している。
英国のケン・ローチ監督の社会派映画に影響を受けたというキム監督が「絶対に必要な映画」と信念をもって企画。その意気込みを市民が後押しして作られた「もう一つの約束」。韓国では政治・社会的に不安定な状況を反映してか、こうした社会告発型の映画が関心を集める傾向が強い。聴覚障害児学校の性的虐待問題を世論に問い、関係法の改正を実現させた「トガニ 幼き瞳の告発」(11)や、司法の腐敗を批判した「折れた矢」(同)のように、「もう一つの約束」も社会的な反響を呼べるか注目される。
(文・写真 芳賀恵)
写真1・2:「もう一つの約束」スチール
写真3:釜山国際映画祭でのワールドプレミア上映後の舞台あいさつ。(左から)パク・チョルミン、ユン・ユソン、ユ・セヒョン、パク・ヒジョン=韓国釜山市で2013年10月4日



