2020年07月28日

「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」名優ブルーノ・ガンツの遺作、温かな演技が心にしみる

1.jpg

 1937年、ナチス・ドイツへの併合で揺れるオーストリア。自然豊かな湖のほとりに母親と暮らす17歳の青年フランツ(ジーモン・モルツェ)は、タバコ店見習いとして働くためウィーンにやって来た。“頭の医者”として知られる常連のフロイト教授(ブルーノ・ガンツ)と親しくなり、人生を楽しみ、恋をするように勧められる。やがてフランツはボヘミア出身の女性アネシュカにひとめぼれ。初めての恋に戸惑い、フロイトに助言を仰ぐが、オーストリアは激動の時を迎えようとしていた──。

 2012年に出版されたローベルト・ゼーターラーの小説「キオスク」の映画化で、監督はオーストリア出身のニコラウス・ライトナー。ヴィム・ベンダース監督の「ベルリン・天使の詩」(87)などで知られ、2019年に他界した名優ブルーノ・ガンツの遺作となった。

2.jpg

 物語はフランツの視点で描かれる。ウィーンでは見るもの全てが新鮮だった。ナチスが侵食し始めた街のタバコ店という小さな世界で、戦争で片足を失った店主オットー(ヨハネス・クリシュ)から接客を学びつつ、常連たちとの短い会話から生まれる人脈。タバコ店は大人に成長する学びの場となる。店ではタバコや新聞のほか、大人向けの卑猥な雑誌も隠れて販売していた。そこへ実在した心理学の巨匠フロイトが常連として登場する。

 フロイト教授はフランツに恋と人生を教える良き理解者で、物語に深みを与えている。母子家庭に育ったフランツにとって、店主オットーとフロイトは父親のような存在といえよう。人生の表裏を教えるオットーと、大人の恋と精神世界を教えるフロイト。二人の教えに導かれてフランツは成長する。

3.jpg

 現実の物語と並行して、フランツが見る夢、突発的な妄想が映像として挿入される。フロイト教授の心理学と物語がリンクするように、幻想的であったり暴力的であったりする。観客がフランツの心理状態を、精神分析のように読み取れる仕組みだ。

 ナチスが暗い影を落とすウィーンで、老いや病と闘いながら、青年を導くフロイト教授に命を吹き込んだガンツ。「ベルリン・天使の詩」(87)の天使役で知られる名優だが、「ヒトラー 最後の12日間」(04)ではヒトラー本人を演じた。今回演じたフロイト教授はユダヤ人で、ナチスから逃げるように英国へ亡命する。

 フィクションに史実が程よくミックスされた魅力的なドラマ。ガンツの温かく、心にしみる最後の名演だ。

(文・藤枝正稔)

「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」(2018年、オーストリア・ドイツ)

監督:ニコラウス・ライトナー
出演:ジーモン・モルツェ、ブルーノ・ガンツ、ヨハネス・クリシュ、エマ・ドログノバ

2020年7月24日(金)、Bunkamura ル・シネマほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

https://17wien.jp/

作品写真:(C)Tobis Film Petro Domenigg
posted by 映画の森 at 10:44 | Comment(0) | オーストリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

「パラダイス」3部作 「愛」「神」「希望」 オーストリアの異才ザイドル 女性の“逸脱”と精神のゆがみ

パラダイス:愛.jpg

 日常の狂気をリアルな映像で描き出した「ドッグ・デイズ」(01)で、世界に名を知らしめたオーストリアの異才、ウルリヒ・ザイドル監督。最新作「パラダイス」3部作は、夏休み中の女性3人の行動を通し、先進国のゆがんだ精神状況を、グロテスクかつユーモラスに浮かび上がらせる。

 「パラダイス:愛」は、オーストリアからケニアのリゾート地へ“セックス観光”に訪れた中年女性のテレサが、現地の若い黒人男と関係を持つ話。普段知的障害者を世話する仕事でたまったストレスを、黒人男性とのアバンチュールで解消しようとするテレサ。ところが、ロマンチックな恋にこだわるあまり、なかなか思い通りの相手に出会えない。

 ようやく見つけた理想の男は、何やかやと理由を付けて金をせびってくる。裕福な先進国からやってきた自分と、貧しい途上国の黒人男。負い目のあるテレサは断ることができない。だが、この黒人男、白人女性を食い物にして生活している筋金入りの詐欺師だった――。

 たっぷり脂のついた50代の白人女性と、痩身の黒人男性との情事。しかも親子ほどの年齢差。異様な眺めと言ってよい。だがセックス観光は、アフリカのリゾート地などで普通に存在する。多少のデフォルメはあるものの、先進国と途上国との関係を象徴する現実の風景なのである。

 白人と黒人、肥満と痩身、裕福と貧困。鮮やかな二項対立が、現代社会の矛盾とゆがみを表現。ザイドル監督ならではの直截(ちょくせつ)で生々しい描写が、見る者に否応なく現実を直視させる。

パラダイス:神.jpg

 「パラダイス:神」は、敬虔なカトリック信者であるアンナ・マリアが、休暇を取って“布教活動”に精を出す話。マリア像を携えて郊外の移民宅を訪問し改宗を勧め、帰宅すると壁に飾られた十字架のキリスト像に祈りを捧げる。そんな毎日にアンア・マリアは精神的充実を感じていた。 

 ところが、ある日、別居していたエジプト人の夫が2年ぶりに帰ってくる。イスラム教徒の夫に対し、冷淡な態度を見せるアンナ・マリア。家庭内“宗教戦争”が勃発する――。

 人々の罪をわが身に引き受け、半裸になって自らをむち打つ場面、祈りを唱えながら、ひざまずいた格好で家の中を歩き回る場面に漂う静かな狂気。信仰の対象が性愛の対象へと変貌する不気味さ。ザイドル作品のミューズとも言うべきマリア・ホーフステッターの演技が強烈だ。

パラダイス:希望.jpg

 「パラダイス:希望」は、思春期の少女メラニーが、“ダイエット合宿”に参加し、父親ほども年の離れた医師に恋をする話。先進国に共通する飽食と肥満の問題が、一人の少女の初恋エピソードに絡めて描かれる。3作の中で最も明るいムードに満ち、タイトル通り“希望”を感じさせる。

 それぞれ独立した作品だが、登場人物にはつながりがある。テレサはアンナ・マリアの妹であり、メラニーはテレサの娘。「パラダイス:愛」には3人が一堂に会する場面もある。当初は長大な1本の作品として構想したが、編集段階で三つに分けたそうだ。各作品の完成度を見れば、正解だったことが分かる。

「パラダイス:愛」は2012年のカンヌ国際映画祭、「パラダイス:神」は同年のベネチア国際映画祭、「パラダイス:希望」は13年のベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品。「パラダイス:神」は審査員特別賞を受賞した。ミヒャエル・ハネケと並びオーストリアを代表する名監督ザイドル。重量級の傑作が3本一挙に見られるのはありがたい。

未公開作「インポート、エクスポート」(07)も特別上映。オーストリアとウクライナの若者がたどる過酷な道筋を描いている。

(文・沢宮亘理)

「パラダイス:愛」(2012年、オーストリア・独・仏)
監督:ウルリヒ・ザイドル
主演:マルガレーテ・ティーゼル、ピーター・カズング)

「パラダイス:神」(同)
監督:ウルリヒ・ザイドル
出演:マリア・ホーフステッター、ナビル・サレー)

「パラダイス:希望」(同)
監督:ウルリヒ・ザイドル
出演:メラニー・レンツ、ジュセフ・ロレンツ

「インポート、エクスポート」(2007年、オーストリア・独・仏)
監督:ウルリヒ・ザイドル
出演:エカテリーナ・ラック、ポール・ホフマン

2014年2月22日(土)、ユーロスペースほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.paradise3.jp/

作品写真:(c)Vienna2012 | Ulrich Seidl Film Produktion | Tatfilm | Parisienne de Production | ARTE France Cinema
タグ:レビュー
posted by 映画の森 at 13:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーストリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

「ミヒャエル」 冷酷、狡猾な性犯罪者 “観察”の視線で

ミヒャエル.jpg

 主人公はミヒャエルという名の中年男。無口だが勤勉な会社員だ。少数ではあるが友人もおり、女性との付き合いもある。どこにでもいる平凡な男に見える。しかし、彼には誰も知らないもう一つの顔があった――。

 少年を自宅に監禁しながら、平然と社会生活を送る男を描いた「ミヒャエル」。主人公は誘拐した少年と暮らしている。在宅時には少年と食事や会話をし、週末にはレクリエーションにも出かける。これだけ見れば、まるで父と子のようでもある。

 しかし、就寝時刻になると少年を地下室に監禁。そして朝の出勤時には再び地下室へ。その間、少年は子供部屋のような地下室でテレビを見たり、絵を描いたりして過ごすことになる。

 もちろん、それだけでは済まない。ミヒャエルの目的が何であるかは言うまでもないだろう。彼が洗面所で性器を洗うさりげないカット。何を暗示するかは明白だ。力の弱い少年が抵抗するすべはない。ミヒャエルの前では気丈にふるまう少年が、一人きりになると肩を震わせ泣く姿は痛ましい。

 冷酷で狡猾な性犯罪者ミヒャエル。非常事態に直面したときの反応の仕方にぞっとする。少年が体調を崩し、夜間に高熱を出した時のこと。彼は「まずい」とつぶやくと、ただちに車で森まで走り、スコップで穴を掘るのだ。少年が死亡した場合への備えである。

 しかし、このようなミヒャエルの行動は、決して強調して描かれることはない。どんなシーンを撮る時も、カメラは決して人物に接近したり密着しないのだ。一定の距離から対象を観察するような映像は、ミヒャエル・ハネケの作品を彷彿とさせる。

 もしやと思って、今回が監督デビューとなるマルクス・シュラインツァー監督のプロフィールを見ると、キャスティング・ディレクターとして長くハネケ作品に参加した経歴を持つ。鬼才の仕事を間近に見ながら、シュラインツァー監督は演出術を学んだに違いない。

 先を読ませないストーリー展開、リアルな人物造形、“寸止め”のエンディングなど、新人とは思えない演出力に、非凡な才能がうかがえる。次回作が楽しみだが、まず本作の日本公開を熱望する。

(文・沢宮亘理)

「ミヒャエル」(2010年、オーストリア)
監督:マルクス・シュラインツァー
出演:ミヒャエル・フイト、ダヴィド・ラウヘンベルガー

第24回東京国際映画祭 ワールドシネマ部門 

http://2011.tiff-jp.net/ja/

作品写真:(c)2011 NGF
posted by 映画の森 at 12:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーストリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。