2014年01月24日

「シネマパラダイス★ピョンヤン」 北朝鮮映画界の裏に迫る 初の密着ドキュメンタリー、3月8日公開

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 北朝鮮映画界に初めて密着したドキュメンタリー映画「シネマパラダイス★ピョンヤン」が2014年3月8日、渋谷シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開される。

 映画が国家のプロパガンダに利用される北朝鮮。大の映画好きだった金正日(キム・ジョンイル)総書記は、平壌に広大なオープンセットを備えた撮影所を建設。日本、中国、韓国などの古い街並みが再現され、今も年間100本のペースで作品が撮影されているという。

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 「シネマパラダイス★ピョンヤン」は、そんな北朝鮮映画を生み出す映画人に密着。エリートが集まる平壌演劇映画大学の学生たち、巨大なスタジオで撮影に忙殺されるベテラン監督など、北朝鮮映画製作の裏側を映し出す。

 メガホンを取ったのは、シンガポールのジェイムス・ロン、リン・リー監督。取材は2009年から長期滞在4回、約2年に及び、当局による監視や映像の検閲など、さまざまな障害を乗り越え完成させた。

 日本公開決定を受け、両監督は「撮影対象は『演じている』と多くの人が言うだろう。正しく振る舞うよう命じられていることは、想像するに難くない。しかし、辛抱強く様子をうかがいながら、彼らのむき出しの姿をとらえた瞬間はあると思う。何が真実で、本当か。観客が判断してほしい」とコメントを寄せた。

 (文・遠海安)

「シネマパラダイス★ピョンヤン」(2012年、シンガポール)

監督:ジェイムス・ロン、リン・リー

2014年3月8日、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://cinepara-pyongyang.com/

作品写真:(c)Lianain Films
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2014年01月02日

「ILO ILO(英題)」アンソニー・チェン監督に聞く アジア映画の今(1)「小さなことに人間性が宿る。人々の生きざま描きたい」

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 アジアの映画人は今、何を模索し、どこを目指しているのか。新年連続インタビュー「アジア映画の今」。第14回東京フィルメックスで来日した監督3人に聞く。第1回はシンガポールのアンソニー・チェン(陳哲藝)監督。

 1984年、シンガポール生まれ。長編デビュー作「ILO ILO(英題)」が昨年、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール(最優秀新人監督賞)を獲得。台湾金馬奨(台湾アカデミー賞)の最優秀作品賞など4部門を獲得し、一躍注目を集めた。現在はシンガポールと英国を拠点に活動している。

 「ILO ILO(英題)」の舞台は90年代後半、アジア経済危機下のシンガポール。中流家庭に住み込みで働き始めたフィリピン人メイドと家族の物語だ。両親の不仲、父の失職などを背景に、メイドと少年の交流、家族の変化を描く。チェン監督は「小さなことに人間性が宿り、人に語りかける。社会の人間模様、人々の生きざまを描いていきたい」と語った。

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 主なやり取りは次の通り。

「私が一番良く知っている時代」

 ──最初の長編作品でメイドをテーマにした理由は。

 私は子供時代、メイドがそばにいた期間が長かった。4歳から12歳まで。成長過程で重要な時期、長い時間を一緒に過ごした。シンガポールでメイドを雇うことは、別にぜいたくではなく、ごく普通のこと。全家庭の半分は雇っていると思う。

 ──舞台設定は97〜98年。物語はどう作ったのか。時代背景を含めて教えてほしい。

 私は80年代に生まれ、90年代は子供だった。「あの時代を一番良く知っている」という自覚がある。今のシンガポールは大きく変わった。理解できないと思うほどだ。97、98年のことは忘れられない。アジア金融危機が起き、抑圧された、暗い時代だった。米国企業に勤めていた父も失業し、その後より良い仕事には就けなかった。私の人格形成に大きな衝撃を与えた時期だった。

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「シンガポールは変わった。理解できないと思うほど」

 ──シンガポールのどこが最も大きく変わったと思うか。

 (高級ホテル・レジャー施設の)マリーナベイサンズが街の中心に完成した。人気のスポットで、日本人はみな泊まりたがるでしょう?(笑)。なぜ街の真ん中にカジノを作るのか、私にはまったく理解できない。シンガポールの役人は分かっているだろうか。普通カジノは郊外に作るものだ。あれにより街の外観、人々の価値観も変わった。資本主義的傾向が強まり、昔よりずっと金満体質になっている。

 ──メイドと家族の物語は、監督の中にずっと存在し、描きたいと思ってきたのか。

 子供時代は無垢でナイーブだ。楽しかったこと、食べ物がおいしかったこと、遊んだことなどは記憶に残る。だが、振り返って気付くこともある。当時、世の中の人間関係は単純だと思っていたが、大人の世界は複雑だ。一見するのと大分違うと気付いていく。

 私の母はとても優しく、心温かい人。映画で描いたより(メイドとの関係は)ずっと良かった。ただ、一度だけ「はっ」と思ったことがあった。私が3年の英国留学から帰った時、私のおばが「食事をに来ないか」と誘ってくれた。母は聞くなり「私の子供よ。まずご飯を食べるのはうちでしょう」と釘を刺した。恐らくすべての女性には、子を守ろうとする衝動や直感があり、自分のものを守り、区別する傾向があるのではないか。

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「幼いころ、チャン・イーモウの作品を観るのが好きだった」

 ──映画の道に入ろうと思ったきっかけは。

 理由は分からない。15歳の時、すでに「映画監督になりたい」と思っていた。子供のころはジャッキー・チェン(成龍)のアクション、香港コメディー、警察もの、ヤクザ映画、ホラーなどを見ていた。ただ、私は中でも週末の午後、テレビで放映される映画を見るのが好きだった。それは田舎が舞台の中国映画で、いつも同じ女優が出ていた。後に女優はコン・リー(鞏俐)で、初期のチャン・イーモウ(張芸謀)監督の作品と知った。

 ──成長するにつれ、どんな作品が好きになり、影響を受けたか。

 15歳ごろからイタリア、フランス、日本、台湾映画などを見るようになった。映画に対する固定観念を変えてくれた。自己形成にも大きく影響したと思う。

 15歳の時、今思えば世間知らずなことをした。インターネットでUSC(南カリフォルニア大学)、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)、NYU(ニューヨーク大学)など、世界の有名な映画学校に手紙を書き、どうすれば入学できるか調べた。ところが学費が20万ドル(約2000万円)もかかる。法学や医学を勉強するより高い。シンガポールの中流家庭にとっては大金だった。そこで17歳の時、シンガポールで唯一映画を教える学校、義安理工学院の映画コースに入学した。

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posted by 映画の森 at 09:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | シンガポール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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