
チベット東端の村から西端の聖なる山へ。約2400キロを1年かけ、村人11人が仏教の礼拝方法「五体投地」で歩く。中国映画「ラサへの歩き方 祈りの2400km」は、チャン・ヤン(張楊)監督が現地に赴き、チベットの人々の暮らし、生と死、信仰に密着。村人を俳優として起用して忠実に再現した。
中国チベット自治区東端のマルカム県プラ村。兄を亡くした70歳のヤンペルは「死ぬ前にラサへ行きたい」と願う。甥(おい)のニマはその思いを受け、家族に「巡礼に出る」と宣言。村の3家族11人で西へ向かうことになった。トラクターにテントや食料を積んでニマが運転。一行は手に板を付け、皮の前掛けをして、五体投地で進んでいく。

五体投地は仏教で最も丁寧な礼拝の方法だ。まず合掌。両手、両ひざ、額を大地に投げ出してうつぶせになり、立ち上がる。この動作を繰り返して進む。ずるをしてはいけない。なにより「他者のために」祈らなければならない。
巡礼の先々でさまざまな人に出会う。トラクターのオイルタンクのネジが外れた時は、近くの村の元村長が泊めてくれた。一行はお礼に畑を耕す。すれ違った巡礼夫婦は「ロバも家族同然。ラサに着いたらロバに福があるよう祈る」と言う。さらに病人を乗せた車に衝突され、トラクターが壊れてしまうが、ニマたちは相手を責めずに「早く病院へ」と促す。
落石にあっても、道が冠水しても、五体投地の歩みは止まらない。一行の中の若い女性ツェリンは、途中で産気づいて出産。生まれた子供を抱きかかえ、再び旅に合流する──。

映像はとても自然にみえる。まるでドキュメンタリーのようだが、綿密に計算されたフィクションなのだ。チャン監督はチベットの村に3カ月間住み込み、まずは村の日々の暮らしを映像に記録した。村人の中から事前に想定した年齢、性別の人たちを選び、一緒に巡礼に出発。ラサまでの約1200キロはすべて収録した。
歩きながら撮り、撮りながら考える。チャン監督は振り返る。「私は思考の幅を広げ、その時々につかんだものを脚本家として映画の物語にはめ込んだ。次に脚本家から抜け出し、監督の手法で表現した。撮影の過程で意識的に取捨選択、再構築する必要があった」。ドキュメンタリーとフィクションの境界を行く映像が、臨場感とリアリティーを高めた。
監督が現地に「入り込んだ」感触は、実際の手触り、息づかいとして伝わってくる。日本には断片的にしか知らされないチベットの人々の日常、宗教観。「祈りはまず他者のため」であり、道端の生き物や自然にさりげなく心を配る彼ら。全身全霊で大地にひれ伏す姿に、思わず利己的な我が身を振り返る。
約2400キロの旅を経て、たどり着いた聖なるカイラス山。白く雪をかぶった山肌を見ながら、一行は祈ることをやめない。巡礼に到達点などないのだ。それは人生そのものだから。
(文・遠海安)
「ラサへの歩き方 祈りの2400km」(2015年、中国)
監督:チャン・ヤン(張楊)
出演:チベット巡礼の旅をする11人の村人たち
2016年7月23日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.moviola.jp/lhasa/
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