台北の街は、眠らない。日が暮れると、夜市の屋台に明かりがともる。蒸し暑さと人いきれで、街は体温を上げる。
台北一の歓楽街、艋舺(モンガ)。台湾を代表する寺院・龍山寺を中心に、屋台や飲食店がひしめき合う。街には二つの顔があった。買い物客や参拝者が行きかい、にぎやかで活気あふれる昼。ヤクザが衝突を繰り返し、売春宿が赤くゆらめき、きなくさい空気が漂う夜。モンガは人間の欲とエネルギーを飲み込み、濃密な熱気を発していた。
1986年。高校生のモスキート(趙又廷=マーク・チャオ)が、モンガに転校してきた。幼いころからいじめられっ子で、学校を転々とする日々。案の定、登校初日に不良グループに目を付けられ、暴力を振るわれる。窮地を救ったのは、ヤクザの父がモンガを仕切るドラゴン(鳳小岳=リディアン・ヴォーン)、仲間のモンク(阮經天=イーサン・ルアン)、白ザル(蔡昌憲=ツァイ・チャンシェン)、アペイ(黄鐙輝=フアン・タンフイ)の4人だった。「どうして助けた」と聞くと、モンクは答える。「指が5本あれば、拳(こぶし)を一つ作れるだろ」。生意気盛りの5人は、義兄弟の契りを交わす。「生まれた日は違っても、死ぬ日は一緒だ」。モンガに生き、モンガに死ぬ。彼らにとって、街がすべてだった。絆を強めた5人は、極道へ踏み込む。
一方で“大人の世界”は、急激な変化に見舞われていた。街の利権を狙い、外部の新組織が介入。ドラゴンの父は窮地に追い込まれ、5人も抗争に巻き込まれる。モンガはどこへ向かうのか──。
鈕承澤(ニウ・チェンザー)監督は、記憶に残るモンガを語る。「小さいころ、よく夜市に行った。14歳の夕暮れ、同級生と“探検”したことは、今も鮮明に覚えている。路地に入ると、両脇に売春宿が並んでいた。店先には肌もあらわな女たちが並んでいて、僕らに向かって一斉に手を伸ばしてきた。びっくりして飛び上がり、一目散に走って逃げた」
モンガの雑多で混沌とした空気は、若い5人を成長させる、あるいは“道を狂わせる”に十分な引力を持っていた。監督は言う。「観客が劇場に入り、映画の中の風景がリアルで、人物も(演じた)俳優自身だと信じられる……そういう作品にしたい」。思いを受けてか主演の5人は、監督の記憶の中のモンガを生き生きと動く。5人は走る。ひたすら走る。汗をかき、泣き、笑い、悩み、怒り、叫ぶ。
リーダー格・モンクを演じたイーサン・ルアンが素晴らしい。頭を坊主に刈り上げ、背中一面に刺青を入れ、白い開襟シャツに細身のパンツ、黒い鼻緒の雪駄(せった)を履き、街を闊歩する。つるりと卵をむいたような和風顔に、やや猫背のしなやかな長身。殴られても殴られても立ち上がり、自分なりの筋を通す気の強さ。ドラマで見せてきた甘いイメージを覆し、演技に緊張感がみなぎる。俳優が運命の役にめぐり合った、幸せな瞬間だろう。
舞台と演技だけではない。よく練られた人物造形、脚本が、物語への共感を呼ぶ。娯楽性を前面に打ち出し、商業映画に徹したことが、台湾映画として地元で今年一番ヒットした理由かもしれない。ニウ・チェンザー作品には、従来の台湾映画になかった、したたかさと泥臭さがある。敏腕女性プロデューサーの李烈(リー・リエ)が製作し、映画「九月に降る風」の林書宇(トム・リン)監督が、助監督として作品を支えた。ヤクザのボスを演じた馬如龍(マー・ルーロン)ほか、王識賢(ジェイソン・ワン)、陳漢典(チェン・ハンディエン)ら脇の演技も見ごたえ十分だ。中国大陸の巨大資本が幅を利かせ、大味な歴史大作が目立つ最近の中華圏。演じるのは生身の人間であり、身近な街が舞台となりえることを、台湾発の「モンガに散る」は訴える。
「拳銃なんて、外道が持つ武器だ」「俺たち極道者は、道端でのたれ死ぬものさ」。短刀を振り回し、柄シャツを着て肩で風切るなんて、古くさいかもしれない。暑苦しいかもしれない。それでもここは、付き合おうではないか。道を踏み外した、5人の全力疾走に。
(文・遠海安)
「モンガに散る」(2010年、台湾)
監督:鈕承澤(ニウ・チェンザー)
出演:阮經天(イーサン・ルアン)、趙又廷(マーク・チャオ)、馬如龍(マー・ルーロン)、鳳小岳(リディアン・ヴォーン)、柯佳嬿(クー・ジャーヤン)
12月18日、シネマスクエアとうきゅうほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.monga-chiru.com/
第23回東京国際映画祭アジアの風部門「台湾電影ルネッサンス2010」オープニング作品
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=101
作品写真:(c)2010 Green Days Film Co. Ltd. Honto Production All Rights Reserved.



