2017年07月28日

「台湾萬歳」酒井充子監督に聞く アイデンティティーは「自分の人生が決めるもの」

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 台湾南部の漁村を舞台に、海や山とともに暮らす人々を追ったドキュメンタリー映画「台湾萬歳」。台湾の「日本語世代」を追った「台湾人生」(09)、「台湾アイデンティティー」(13)に続き、酒井充子監督が3部作の最終章として送り出した作品だ。

 前2作では歴史の波に翻弄され、激動の人生を歩んできた日本語世代の過去と現在を描いた酒井監督。今回は舞台を南部の台東県成功鎮に移し、台湾の自然と文化を愛し、汗を流し根を張って生きる人々に焦点をあてた。監督は一人、南部最大の都市・高雄から車を走らせた。

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 「台湾の南の方で撮りたくて、台東になったのは偶然です。今回はゼロからやろうと思い、取材の予約もしませんでした。(米どころで知られる南部の)池上へ行けば、米を作っているおばあちゃん、おじいちゃんがいるだろうと思い、池上の農協で聴き込みました。ところが、(日本語世代の高齢化が進み)存命の人が少なかった。どうしようかな……海へ行けば漁師さんがいるかもしれない、と海岸線を北上。途中で『成功漁港』の看板を見たんです」

 行き当たりばったりの取材をスタートさせたのは、前2作とはまったく違うものにしたかったからからだ。日本統治時代を含め、より長いスパンで台湾の時の流れをとらえたかったという。「特別なもの」ではなく、「そもそもの」台湾を知りたくなった。

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 「これまでずっと、台湾の人たちが持っている明るさ、強さはどこから来るんだろうと思ってきました。風土や社会環境、台湾人を育んだものを見たかった。激動の歴史の一方で、コツコツと額に汗して生きてきた人たちを撮りたかったんです」

 台東県はアミ族、ブヌン族、タオ族など原住民の人々が人口の3割強を占める。成功鎮も漢民族と原住民が半々だ。今回登場するのは、日本統治時代に持ち込まれたカジキの「突きん棒漁」をする夫婦、ブヌン族の伝統的な狩猟を受け継ぐ若い世代も登場する。台湾の多様性、歴史が浮かび上がる。

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 15年を超える取材を通し「台湾とは何か、日本とは何か」を探ってきた酒井監督。日本で台湾は「親日」の国とくくられがちだが、はっきりと異議を提示する。

 「東日本大震災後、台湾から多額の義援金が来て初めて、多くの日本人が台湾を意識するようになった。ただ、興味の示し方が露骨で、日本にとって都合のいいイメージでしか台湾を見ない。親日の2文字では語れない歴史があり、今もその時代を生きた人がいる」

 では、前作のタイトルにもなった「アイデンティティー」とは何か。何がそれを決めるのか。

 「自分の人生が決めるものだと思います。国や民族、言語や文化では規定できないもの。その人が歩んできた人生こそ、アイデンティティーではないでしょうか」

 “最終章”と銘打たれてはいるが、酒井監督の台湾への旅は続いている。次回作は「場所」を撮るそうだ。「まだどこかは言えませんが」と笑顔を見せた。

「台湾萬歳」(2017年、日本)

監督:酒井充子

2017年7月22日、ポレポレ東中野ほか全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://taiwan-banzai.com/

作品写真:(C)「台湾萬歳」マクザム/太秦
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2017年02月21日

「百日告別」最愛の人を突然失った痛み 台湾トム・リン監督、実体験を映画化

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 最愛の妻を突然亡くした実体験を、台湾青春映画「九月に降る風」(08)のトム・リン監督が映画化した。

 台湾の路上で多重事故が起きた。平和な日常が一瞬で非日常に変わる。シンミン(カリーナ・ラム)は婚約者レンヨウを亡くした。ユーウェイ(シー・チンハン)は妊娠中の妻シャオエンを失った。最愛の相手の死を受け入れられない二人は、喪失感に押しつぶされそうになりながら、初七日を迎える──。

 初七日、三十五日、四十九日と行われる合同の法事。縁のなかった他人同士が、事故に巻き込まれた共通点で山の上の寺に集まる。何度か顔を合わせるうち、奇妙な連帯感が生まれていく。しかし、法事が終われば再び、それぞれ孤独な喪失感と向き合わなければならない。

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 シンミンは調理師のレンヨウと、レストランを開く夢があった。メニューの開発を兼ねて新婚旅行する予定だった沖縄に、シンミンは一人旅立ち、孤独を改めてかみ締める。一方、ユーウェイはピアノ教師だった妻の教え子の家を訪ね歩き、レッスン料を返していく。そして二人は、法事の節目である「百日」を迎える。

 「百日告別」は悲惨な事故シーンで幕を開ける。それぞれ事故車に乗り合わせ、一命をとりとめた二人。もうろうとする意識の中、病院で初めて現実を知る。怒りと悲しみが入り乱れ、我を失うユーウェイに、親族たちは理解を示さない。その姿は監督自身の体験から生まれたのではないだろうか。

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 心に穴の開いた二人をよそに、時は無情に、刻々と過ぎていく。合同の法事を節目にしながら、二人は喪失感を埋めるため動き出す。一人向かった沖縄。島の人々の優しさや風景が、言葉の通じないシンミンの心を癒やしていく。

 残された人が亡き人を思う気持ちは、日を追うごとに募るものだろうか。監督自身が亡き妻への思いを整理し、映画にすることが、癒やしの儀式だったのかもしれない。監督の痛みがダイレクトに伝わり、観客も言い知れぬ痛みと悲しみを共有する。

(文・藤枝正稔)

「百日告別」(2015年、台湾)

監督:トム・リン
出演:カリーナ・ラム、シー・チンハン、チャン・シューハオ、リー・チエンナ、ツァイ・ガンユエン

2017年2月25日(土)、渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.kokubetsu.com/

作品写真:(C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B'in Music International Ltd. All Rights Reserved
タグ:レビュー
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2016年12月10日

映画祭を振り返る(4)第17回東京フィルメックス エドワード・ヤン監督「タイペイ・ストーリー」ホウ・シャオシェン主演 台湾ニューシネマの盟友集結

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 第17回東京フィルメックス(2016年11月19〜27日)。特別招待作品「フィルメックス・クラシック」で、台湾エドワード・ヤン(楊徳昌)監督の「タイペイ・ストーリー」(1985)が上映された。

 ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督とともに台湾ニューシネマを牽引したヤン監督。日本では「クーリンチェ少年殺人事件」(91)以降の全作品と「恐怖分子」(86)が劇場公開されているが、長編2作目にあたる「タイペイ・ストーリー」はなかなか見るチャンスが少なく、ファンにとって貴重な上映となった。

 主たる登場人物は、30代とおぼしき幼なじみのカップル。マンションで同棲生活を送っているが、蜜月期はとうに過ぎているようで、甘いムードはかけらもない。実は2人とも、ほかの異性とひそかに関係を持っている。

 男は兄のビジネスを手伝うため、たびたび米国に出張しているが、今ひとつ何をやりたいかがはっきりしない。かつて少年野球の花形選手だったようで、今もたまに子どもたちをコーチしている。野球選手になりたかった過去から解放されていないのだろう。

 一方、女は建築設計会社で働いていたが、大企業との合併を機にリストラされてしまう。失業したことで生活基盤が揺るぎ、2人の関係はますます先が見えなくなっている。

 ある日、男が出張から持ち帰ったビデオから、男が隠していた密会の事実が発覚。女が男を問い詰めると、男は逆ギレして家を出ていく。女は男との関係を修復しようと、男の行きつけのカラオケ店に電話するが――。

 急速に発展する台北を舞台に、男女の不安定な関係をスタイリッシュな映像で描いた作品。男を演じたのはホウ・シャオシェン、女を演じたのは当時ヤン監督夫人だったツァイ・チン(蔡琴)。ほかにも「多桑 父さん」(94)のウー・ニェンチェン(呉念真)、「光陰的故事」(82)のクー・イーチェン(柯一正)など、ヤン監督の盟友だった映画作家たちが俳優として参加。ホウ監督は脚本、製作も手がけている。

 仏ヌーヴェルヴァーグに比肩する大きなうねりを引き起こした台湾ニューシネマ。斬新な映像スタイルもさることながら、盟友同士がスクラムを組んで製作した点でも、まさにヌーヴェルヴァーグ的な1本といえる。

 プロ野球や石原裕次郎のテレビCM、日本語カラオケ、日本企業のネオンサイン、さらには少女が口にする渋谷や原宿という名前まで、全編に散りばめられた“日本”も印象的である。

(文・沢宮亘理)

「タイペイ・ストーリー」(1985年、台湾)

監督:エドワード・ヤン
出演:ツァイ・チン、ホウ・シャオシェン、クー・イーチェン
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2015年11月17日

第28回東京国際映画祭「百日草」トム・リン監督、主演のストーンに聞く 妻を亡くした経験を映画に「自分が立ち直るための儀式だった」

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 愛する者を失った時、人はどう痛みを乗り越えるか。台湾のトム・リン(林書宇)監督の新作「百日草(原題)」は、妻を亡くした監督自身の体験を元にした人間ドラマだ。「(映画の主人公と同じように)出口を求めてもがいていた」と話す監督。「この映画を撮ることは、自分が立ち直るための儀式だった」と振り返った。

 主人公は二人。同じ交通事故で妻を失ったユーウェイ(ストーン)と、婚約者を失ったミン(カリーナ・ラム=林嘉欣)。それぞれ心身ともに傷を負いながら、喪失感を埋めるため苦しみ、葛藤する過程が描かれる。

 第28回東京国際映画祭「ワールド・フォーカス」部門での上映に合わせ、このほど来日したリン監督、ストーンに話を聞いた。ストーンは台湾の人気バンド・メイデイ(五月天)のギタリストとして活躍。俳優業にも進出し、活動の幅を広げている。香港映画出身で実力派女優のラムは結婚、出産を経て5年ぶりの映画復帰作となった。

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 主なやり取りは次の通り。

 ──自身のつらい体験を脚本に書くことで、さらに痛みが増すことになりませんでしたか。

 監督:妻が亡くなった悲しみから立ち上がるには、ある儀式が必要でした。(劇中で)ユーウェイは(ピアノ教師だった妻の生徒に)レッスン代を返しに行きました。ミンは(新婚旅行を予定していた)沖縄に一人で出かけました。僕にとってはこの映画を撮ることが儀式にあたり、自分にとって必要な行為でした。

 ──役作りをする上で、監督とはどんなやり取りをしましたか。

 ストーン:クランクインの前にかなり時間をかけて監督と役について掘り下げ、脚本について討論しました。撮影に入る時点では、ユーウェイの性格、個性、関心、生活方式、亡くなった妻への気持ちを完全に理解していました。それをただ演技として表現するだけでした。

 監督はわざわざ2、3日時間を作り、僕と妻役の女優との普段の生活のシーンを撮ってくれました。夫婦の甘い雰囲気を感じ合った後、彼女がいなくなり、本当に妻を亡くしたような喪失感がありました。演じる上でとても役に立ちました。

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ストーン「演奏は道具を使う。演技は素手で触るような感じ」

 ──メイデイのギタリストとして、普段は音楽の世界で表現していますね。演技という表現との違い、難しさはありますか。

 ストーン:かなり違います。ギタリストとしては楽器を使い、歌や音符で表現する。常に道具を使っています。でも演技には道具がありません。自分自身の外見、表情を使いますね。たとえれば、医師がメスで手術をするのが音楽。演技は素手で患部に触るような感じです。自分がけがをする可能性もあり、非常に危険なこともあります。

 ──これまで特に演技の勉強をした経験はないそうですが、現場に入る時にどんな工夫や準備をしていますか。

 ストーン:役柄についてよく研究し、準備します。彼がどんなものが好きで、どんな背景で育ったか。人の個性は育った背景、環境、親などに大きく左右されると思うんです。それらをすべて考え、自分なりの方法で整理し、消化する。そういう手続きを必ずします。

 今回は監督がある方法で、僕に想像する空間を与えてくれました。監督は「ユーウェイはサイだ」と言ったんです。動物のサイですよ。外見から内面まで「なぜサイなんだろう」と考えました。実は僕自身、自分はメイデイの中でキリンだと思っているんです。(笑いながら)すごく穏やかでおとなしい。キリンは背が高いから上から見下ろせて、動作もゆったりしている。そういう存在になりたいし、自分はそうだと思っています。

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監督「ストーンにはものすごい爆発力を感じる」

 ──監督は「直感で俳優を選ぶ」そうですが、ストーンの俳優としての魅力はどこにありますか。

 監督:人生の中で豊かな力を持っている。目を見ると分かるんです。人間の中身がしっかりしている。それ以外は技術的なことなので、一緒に努力すれば克服できます。でも最初の(人間的な)部分が俳優にとっては大事。外見上は穏やかだけれど、ものすごい爆発力のある人だと思います。

 ──劇中のエピソードは監督自身の体験や調査結果から作られたのですか。

 監督:両方です。俳優が決まった段階で「彼らならどんなことが起こるだろう」と考え、出てきたエピソードもありました。一人になったミンは「果たして新婚旅行に行くだろうか」などと考えました。初七日に玄関先に塩をまいておくと、亡くなった人が戻ってきて足跡がつく。これは人から聞いた言い伝えです。

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 ──カリーナ・ラムさんの魅力について教えて下さい。

 ストーン:ずっと前から(女優としての)彼女を知っていたけれど、触れることもできない憧れの存在でした。今回初めてきちんと知り合い、とても親しみやすい人と分かりました。僕からみると「絹のような人」。こちらの反応を受け止める時に柔らかい。すーっと寄って来て、さあっと離れていくような感じです。彼女の反応は強烈ではなく、漂うように流れるように来る。でも彼女にそう言ったら「自分は活発だ」と反対すると思いますが。

 監督:自分の考えをしっかり持つ、本当に素晴らしい女優。出演を依頼したのはタイミングが良くも悪くもある時でした。良かったのは彼女が演技から5年遠ざかり「そろそろ女優の仕事に戻ろうか」と考えていたところだったこと。悪かったのは出演を決めた1カ月半後、実際に父上を亡くされたんです。彼女は「自分も死に向き合い、克服する過程が必要です」と言って出てくれました。

(聞き手・遠海安、写真・岩渕弘美)

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「百日草」(2015年、台湾)

監督:トム・リン(林書宇)
出演:カリーナ・ラム(林嘉欣)、ストーン(シー・チンハン=石錦航)、柯佳[女燕]、馬志翔、張書豪

第28回東京国際映画祭「ワールド・フォーカス」部門出品、第17回台北映画祭2015クロージング作品。

作品写真:(C)2015 Atom Cinema Taipei Postproduction Corp. B'in Music International Ltd. All Rights Reserved
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2014年12月07日

第15回東京フィルメックス 「西遊」ツァイ・ミンリャン監督&リー・カンション 短編シリーズ、次は「東京で」

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 第15回東京フィルメックスで、ツァイ・ミンリャン監督の「西遊」が特別招待作品として上映され、ツァイ監督と主演のリー・カンションが観客との質疑応答に参加した。短編シリーズ「Walker」の6作目にあたる作品。托鉢(たくはつ)僧に扮したリー・カンションが、仏マルセイユの街をおそるべき低速度で歩行する姿が固定カメラの長回しで収められている。

 登壇したツァイ監督は「Walker」シリーズを撮ることになった経緯から語り始めた。「2001年に台湾で演出したシャオカン(リー・カンション)の一人芝居がきっかけだった」。難航したのは、舞台上の数メートルを移動する間に、別の人物に変身するという難しい演技。試行錯誤を繰り返した末に、リーから「ゆっくり歩く」というアイデアが出たという。

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 17分かけてゆっくり歩いて見せたリーの姿に「美しく、力強い!」と感動したツァイ監督。ぜひとも映像に記録したいと思い、シリーズ化を決めたという。「シャオカンに世界中あちこちの街を歩かせてみたかった」。うれしいことに、次の7作目は東京が舞台になるそうだ。

 だが、長時間ゆっくり歩くことには、人知れぬ苦労もある。「マレーシア編ではアスファルトの路面が熱く、足に水ぶくれができた」と、撮影の過酷さを振り返るリー。「香港編では冬でも蚊がいて、追うこともできず、刺されるがまま。蚊もゆっくり血が吸えて満足だったのでは」と話し、観客の笑いを誘った。

 歩行中はつねに人や車の妨害を受ける。疲労も募る。集中力を切らさないよう、お経を唱えることもあったとか。リーのゆっくりとした歩行を見つめていると、あまりにもテンポの速い現代社会に対する警鐘のようにも思えてくる。

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 「一連のシリーズでは、2つの時間を表現している。シャオカンのゆっくりした時間の流れと、ノーマルな時間の流れだ。現代人はあまりにも歩くのが速すぎる。その速さには思考が伴っていない」

 今回、下見で池袋を訪れたツァイ監督。人々がすごい速さで歩いているのを見て、思わず逃げ出したい気分になりつつも、立ち止まってじっと彼らを見ていたいとも思ったそうだ。「来年1月には東京のどこかで撮影したい。もし興味があれば、シャオカンと一緒にゆっくり歩いてみてほしい」

 「興味のある人は挙手を」というツァイ監督の呼びかけに、会場から多くの手が伸びた。日時・場所はインターネットで告知するかもしれないという。ツァイ・ミンリャン作品に出演するという、ファンにとって夢のような出来事が実現するかもしれない。

 この日の客席には、黒澤明作品のスクリプターとして知られる野上照代氏の姿も。「今日の午後に、野上氏とリーを同じフレームに収めて撮ったんだ!」と興奮するツァイ監督に、野上氏が「ツァイさんの媚びない姿勢を尊敬しているが、観客のことなんか考えたことないんですかね」と問いかけると、場内は大爆笑。すかさずツァイ監督は「私は頭のいい観客が好きだ」と返し、「監督は利己的であるべき。作品以外のことは考えるべきではない。それが観客に報いることだと思う」と、創作にかける揺るぎない信念を語った。

(文・写真 沢宮亘理)

第15回東京フィルメックス「西遊」作品紹介
http://filmex.net/2014/ss05.html
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