2016年08月03日

「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール監督に聞く「歴史は理解なしに受け継げない」

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 仏パリ郊外の公立高校。人種や宗教が入り混じった落ちこぼれクラスが、ある授業をきっかけに「奇跡」を起こす──。フランスの抱える人種問題、若者の葛藤を描いた「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」が2016年8月6日公開される。マリー=カスティーユ・マンション=シャール監督は「歴史は理解なしに受け継げない」と語った。

 荒れ放題で学校にもさじを投げられたクラスに、歴史のアンヌ・ゲゲン先生がやって来た。教員歴20年。にこやかだがきっぱりと「教えることが大好きで、退屈な授業はしないつもり」と話し、問題児たちに課題を与える。「アウシュビッツ(強制収容所)」をテーマに歴史発表の全国コンクールに出ること。生徒は反発しながらも、渋々資料を調べ始める。

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 壁にぶつかりながら調査を進めていたある日、生徒たちは収容所の生存者、レオン・ズィゲル氏の証言を聞く。収容所の悲惨な日々、父との別れ。ホロコースト(大量虐殺)を生き延びた重い言葉に、生徒一人一人の表情や姿勢が変わっていく。

 映画はイスラム教の女子生徒親子と教師の言い争いから始まる。スカーフの着用を禁じる学校に反発する生徒。歴史を理解し、相手と文化を理解することは、人種と宗教が入り乱れるフランスでは容易ではない。なにげない言葉が相手を傷つけかねない。フランスの現状を反映した描写だ。

 「フランスでは今、(移民)3世ですら自分をフランス人と感じない人が増えています。なぜか。フランスについて相続できていないからです。歴史を受け継ぐ行為は重要。でも遺産相続と異なり、理解なしには受け継げません。また子供はいつの時代も残酷です。成長の過程で人を傷つけるのは、自分に自信がないから。問題の答えを用意してくれる人、つまり先生が必要なのです」

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 ゲゲン先生が用意した答えは、ホロコーストを生き延びたズィゲル氏の講義だった。当初は「自分が出る意味が分からない」と出演を拒まれたという。何度も「映画ならあなたの人生の戦いをより多くの人に伝えられる」と説得を試みて実現した。作品を観たズィゲル氏は「完全に理解した」と話したという。

 「彼は自身の息子がこの映画をいかに誇りにしているかを感じたそうです。さらに一緒に観た観客の反応を見て、自分が出た意味を瞬時に理解してくれました。彼が受け継ぐもの、相続するものが、映画の中に存在しているのを見出してくれたのです」

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 フランスでは昨年以降、大規模なテロが相次ぎ、他者への不寛容が重い問題として人々にのしかかっている。

 「テロが起きて以降、この映画に対する反響は大きくなりました。事件によって同じ作品でも反響や評価が変化します。学校の中では人種差別や偏見がありますが、そういうことは二度とあってはならないと思います」

(聞き手・魚躬圭裕、写真・阿部陽子)

「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014年、フランス)

監督:マリー=カスティーユ・マンション=シャール
出演:アリアンヌ・アスカリッド、アハメッド・ドゥラメ、ノエミ・メルラン、ジュヌビエーブ・ムニシュ、ステファン・バック

2016年8月6日(土)、YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町、角川シネマ新宿ほかにて全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://kisekinokyoshitsu.jp/

作品写真:
(C) 2014 LOMA NASHA FILMS - VENDREDI FILM - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - UGC IMAGES -FRANCE 2 CINÉMA - ORANGE STUDIO

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2016年07月21日

「めぐりあう日」なぜ私を産んだのか まだ見ぬ母を追い たどり着いた愛の境地

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 韓国からフランスへ養子に出された幼き日を、デビュー作「冬の小鳥」で描いて注目を集めたウニー・ルコント監督。長編2作目の「めぐりあう日」では、やはり自身の経験をもとに、母の愛と真実に揺れる女性を描く。

 夫と8歳の息子ノエ(エリエス・アギス)と暮らすエリザ(セリーヌ・サレット)は、産みの親を知らずに育った。パリで理学療法士として働く傍ら、自らの出生にまつわる真実を探し求め、息子と北部の港町ダンケルクへ移る。

 エリザは実母を探すため専門機関に依頼するも、匿名で出産した女性を保護する法律に阻まれる。自分が生まれた産院、出産に立ち会った助産師を訪ねても、実母に近付けない。エリザは母を探し当てるまで、パリに戻る気はなかった。

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 一方、ノエもまた苦しんでいた。転校先の学校では、アラブ系の容姿や内気な性格が原因で嫌がらせを受ける。そんなノエを、給食や掃除を担当する中年女性アネット(アンヌ・ブノワ)がかばう。やがてアネットは、エリザが働く診療所に通い始める。治療で肌を触れ合わせるにつれ、二人は見えないつながりを感じ始めていく──。

 自分はなぜ生まれてきたのか。エリザでなくても、誰もが一度は考えることかもしれない。エリザには家族も仕事もあるが、親の不在で心が満たされない。なぜ自分を手放したのか。なぜ匿名で産んだのか。怒りともつかぬ問いに答えてくれる人はいない。親の愛情を信じられない孤独。

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 しかし、皮肉にも自分の出生の秘密を追うあまり、エリザは夫や息子との間に生じた溝を見落としてしまう。今を生きる目の前の家族を軽視したかのように。

 原題はフランスの作家アンドレ・ブルトンの著書の一文を引いている。

「あなたが狂おしいほどに愛されることを、私は願っている」

 ルコント監督が大切にしている言葉だ。祝福されない人生などない。すべての人生を肯定するように、観る者の心に優しく響き渡る。

(文・魚躬圭裕)

「めぐりあう日」(2015年、フランス)

監督:ウニー・ルコント
出演:セリーヌ・サレット、アンヌ・ブノワ、ルイ=ド・ドゥ・ランクザン、フランソワーズ・ルブラン、エリエス・アギス

2016年7月30日(土)、岩波ホールほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://crest-inter.co.jp/meguriauhi/

作品写真:(C)2015 – GLORIA FILMS – PICTANOVO

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2016年03月12日

「エスコバル 楽園の掟」逆らえない逃げられない 麻薬王はすべてを支配する

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 カナダ人青年がコロンビアにやってくる。一足先に現地入りした兄と合流し、サーフィンを楽しむ計画だ。眼前に広がる青い海、白い砂浜。思い描いていた通り、そこは最高のビーチだった。しかもとびきりの美女までゲットした。彼女の叔父は現地でも有名な大富豪。青年はパーティーで紹介された叔父に、たちまち気に入られるのだが――。

 優しく気前のいい叔父のパブロ。だが彼には「極悪非道な麻薬カルテルのボス」という裏の顔があった。青年ニックが気付いた時はもう手遅れ。“家族”の一員に組み込まれ、身動きがとれなくなっていた。

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 家族すなわち犯罪組織。パブロがニックを家族として受け入れた時点で、ニックは犯罪実行者の役割を割り振られていた。拒否する選択肢はない。生き延びるためには命令に従うしかない。だからといって、殺人を犯すわけにもいかない。驚くべきは警察を頼れないこと。政治家、慈善家の顔も持つパブロは、警察をも牛耳っているからだ。

 ジレンマに押しつぶされそうになりながら、必死で活路を探るニックを「ハンガー・ゲーム」シリーズのジョシュ・ハッチャーソンが熱演。自分自身と愛する女性を守るため、プロの殺し屋たちを向こうに回し「ハンガー・ゲーム」さながらのアクションを繰り広げる。

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 一方、実在した麻薬王、パブロ・エスコバルに扮するのはベニチオ・デル・トロ。服従する者には報酬を与え、反抗する者には容赦ない制裁を加える。二面性を持つ伝説の犯罪者を演じ、圧倒的な存在感を見せている。

 パブロの人物造形に、デル・トロの演技力が大きく寄与していることは間違いない。しかし、初メガホンとは思えないアンドレア・ディ・ステファノ監督の洗練された演出力の貢献度も大きい。

 たとえばニックに「猛犬に襲われた」と聞き、即座に誰の仕業かを悟り、パブロが手にメモをとるシーン。次のカットでは、加害者が逆さ吊りで焼き殺されている。パブロの冷酷無残さを、最も簡潔なやり方で、最も鮮烈に描写しており見事である。

(文・沢宮亘理)

「エスコバル 楽園の掟」(2015年、フランス・スペイン・ベルギー・パナマ)

監督:アンドレア・ディ・ステファノ
出演:ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ハッチャーソン、クラウディア・トレイザック、ブラディ・コーベット、カルロス・バルデム

2016年3月12日(土)、シネマサンシャイン池袋ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.movie-escobar.com/

作品写真:(c)2014 Chapter 2 – Orange Studio - Pathé Production – Norsean Plus S.L – Paradise Lost Film A.I.E – Nexus Factory - Umedia – Jouror Developpement
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2015年12月21日

第16回東京フィルメックス ピエール・エテックス特集 斬新な笑いのセンス、日本に初紹介

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 11月に開催された第16回東京フィルメックスで、フランスの映画監督ピエール・エテックスの特集が組まれ、「ヨーヨー」(65)と「大恋愛」(69)の2本が日本初上映された。

 「ヨーヨー」は、エテックスが少年期に夢中となったサーカスへの愛が全編にあふれる作品だ。1965年のカンヌ国際映画祭に出品され、ジャン=リュック・ゴダールらが絶賛。2007年の同映画祭ではデジタル修復版が公開され、改めてエテックスの才能に注目が集まった。

 主人公は大豪邸に何十人もの召使を抱え、何不自由ない暮らしを送る男。だが大恐慌で全財産を失い、かつて恋人だった女曲芸師のもとへ戻ることに。幼い息子のヨーヨーと3人、サーカス団での巡業生活が始まる。男も元々は曲芸師だったらしい。やがてヨーヨーは大人に成長、サーカス団の花形に。巨万の富を築いたヨーヨーは、父親が手放した屋敷を買い戻すのだが――。

 大豪邸での贅沢ざんまいの生活を描いた序盤から、大恐慌、戦争、テレビの台頭と、時代が激変する中で、新たに主人公となったヨーヨーが頭角を現していく中盤。そして代替わりした大豪邸でのクライマックスへ。サイレント映画ふうに演出した序盤と、最後の壮大なパーティの場面には、独創的なギャグの数々が散りばめられ、エテックスが卓越したコメディー作家であることが分かる。

 しかし一方、男が豪邸で別れた恋人の写真を眺め思いにふける場面や、解雇された召使たちが丘の上の屋敷から長い坂道を下っていく場面、またヨーヨーが恋人と別れる場面などには、憂愁の影が漂う。笑わせるだけでなく、人生の意味をシリアスに省察した作品でもある。

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 「大恋愛」もまた、第一級のコメディーでありつつ、「結婚とは何?人生とは何?」という大問題に迫る作品だ。結婚10年目を迎えた夫婦。表面上は平穏な日々を送っているが、夫の心に浮気の虫がうずき出す。会社の美人秘書に対し、妄想の翼を広げるのだが――。

 ビリー・ワイルダー監督の名作「七年目の浮気」(55)を思わせる設定である。主人公が妄想の世界に入るとき、ワイルダーは画面上で妄想開始の合図をしていた。だがエテックスの場合、主人公は何の前触れもなく、妄想の世界に入って行く。妻が義母に似てきたと思えば、その瞬間、妻は義母の姿に変わってしまうのだ。

 妄想と現実の境目がないシュールな映像。最たるものが、走るベッドの場面だ。秘書との妄想にふけりながら眠りに就いた主人公。いきなりベッドが動き出し、玄関から外へ出ると、そのまま路上を走行していく。道中、主人公と同じくベッドに乗った人々が、それぞれ苦難に直面している。故障したベッドの下に潜って修理する人。事故に遭って立ち往生している人。途中で主人公は秘書を拾い、隣に座らせる。彼女の肩に手を回し、ベッドを走らせ、やがて自宅に戻る。穏やかな笑みを浮かべながら眠る主人公。もちろん隣に秘書の姿はない。

 妄想は妄想のまま、主人公は現実に戻り、平和な夫婦生活は継続されることになったが――。夫婦の形勢が逆転するラストの締め方が鮮やかだ。

 エテックスはフランス風刺喜劇の名手、ジャック・タチ監督の「ぼくの伯父さん」(58)で助監督や俳優を務めたほか、タチ作品の一連のポスターを手がけるなど、タチとは縁が深い。作品にもその影響が見られるが、タチほどのメッセージ性はなく、ギャグの斬新さが身上だ。若い頃に道化師として働いた経験がスタイルを決定づけたのだろう。

 ジェリー・ルイス、ウディ・アレンをはじめ、多くの映画人からもリスペクトされているエテックス。しかし、これまで日本で作品が上映されることはなかった。今回、東京フィルメックスで代表作2本が紹介されたのを契機にエテックス作品が知られ、さらに大きなスポットがあてられることを期待する。

(文・沢宮亘理)

「ヨーヨー」(1965年、フランス)

監督:ピエール・エテックス
出演:ピエール・エテックス、クローディーヌ・オージェ、リュース・クラン

「大恋愛」(1969年、フランス)

監督:ピエール・エテックス
出演:ピエール・エテックス、アニー・フラテリーニ、ニコール・カルファン

作品写真:(c)2010 Fondations Technicolor-Groupama Gan-Studio 37

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2015年10月29日

「わたしの名前は...」男は命がけで少女を守った アニエスベーの鮮烈な監督デビュー作

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 少女は父親から性的虐待を受けている。逆らえない。逃げられない。母親にも打ち明けられない。必死に平静を装うが、内心は地獄である。助け舟となったのは、学校の夏合宿。これで父親から解放される。少女は喜々として家を出る。しかし、合宿が終わって帰宅すれば、悪夢の日々が待っている。

 それが嫌だからだろう。少女はトラックに乗った。運転手は英国人。フランス語は話せない。それでも気持ちは通じ合う。妻子を亡くした中年男と、12歳の家出少女。それぞれ心に傷を負った二人の逃避行が始まった――。

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 ファッション・デザイナーのアニエスベーが、本名のアニエス・トゥルブレ名義で初めてメガホンをとった。これまでもプロデューサーとして、ハーモニー・コリンの「ミスター・ロンリー」(07)を始め多くの映像作品にかかわってきたアニエスベー。監督、脚本、撮影の一人三役をこなし、華々しいデビューを飾った。

 映画のメーンをなすのは、少女とトラック運転手とのロードムービーの部分だ。砂浜で一人遊びをしていた少女が、通りかかったトラック運転手と視線を交わす。一瞬で男にひかれるものを感じたのだろう。彼の運転するトラックの荷台にこっそり潜り込む。だがあっけなく発見され、助手席に移動。そのまま彼の“相棒”となる。男に名前を聞かれた少女は「わたしの名前は…」と言いよどむ。ワケありと察知したか。男はそれ以上追及しようとしない。

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 ちょっぴりワイルドな風貌だが、思いやりにあふれた、男らしい男。言葉の壁など軽々と超え、少女は男と親密な関係を築いていく。日本人ダンサーのカップルや放浪の哲学者たちとの出会いも楽しみながら、男との旅は少女の心に忘れがたい思い出を刻んでいく。

 おぞましい序盤から一転、解放感に満ちた中盤の展開は、メルヘンのように晴れやかだ。だがアニエスベーは、この幸福感あふれる流れに、突如として父親のトラウマを滑り込ませ、見る者をハッとさせるのである。こういう繊細な演出は随所に見られ、この監督がただものでないことを感じさせる。

 同じように少女と中年男が旅をする映画に、ヴィム・ヴェンダースの「都会のアリス」(73)があった。同じようい旅の終止符は突如打たれる。しかし、その終わり方はまったく対照的だ。主人公たちの姿をゆっくりと観客の視界から遠ざけ、余韻を高めていく「都会のアリス」に対し、本作は唐突かつ暴力的である。思わずあっと声を上げてしまいそうな、ショッキングな結末。だがそれは、命がけで少女を守るために男が下した、崇高な決断の結果なのだ。

(文・沢宮亘理)

「わたしの名前は...」(2013年、仏)

監督:アニエス・トゥルブレ(アニエスベー)
出演:ルー=レリア・デュメールリアック、シルヴィー・テステュー、ジャック・ボナフェ、ダグラス・ゴードン、アントニオ・ネグリ

2015年10月31日(土)、渋谷アップリンク、角川シネマ有楽町ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.uplink.co.jp/mynameis/


作品写真:(c)Love streams agnès b. Productions
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