
ロンドンの介護ホームで暮らす中国人女性ジュン。英語を話せない彼女にとって唯一の楽しみは、面会に訪れる息子のカイと過ごす時間だけだった。ところが、ある日、カイは交通事故で死んでしまう。悲しみにくれるジュンの前に、カイの同居人だったリチャードが現れる。ジュンはリチャードをカイの友人だと信じているが、実はカイの恋人。カイは同性愛者だったのだ。リチャードは真実を隠したまま、ジュンの世話をしようとするが――。
愛する者を失った中国人女性と英国人青年との心の触れ合いを繊細に描いた「追憶と、踊りながら」。今回長編デビューしたカンボジア出身のホン・カウ監督は「他人の私生活をのぞき見るような、自然な映像を撮りたかった」と語った。
英語が話せない母親、真実を言えない息子 カンボジアで生まれ、29年前にロンドンに移住してきたジュン。いまだ英語が話せず、英国社会にもとけ込めない。一方、息子のカイはすっかり英国社会に馴染んでいるが、自分がゲイだと母親に告白できずにいる――。基本的な物語設定には、ホン・カウ監督自身の母子関係が投影されている。
「確かに個人的な経験を散りばめた作品だ。ジュン同様、母は英語ができないし、僕も自分がゲイであることをなかなか言い出せずにいた。でも、僕はカイと違ってカミングアウトしている。告白前はとても怖くてどきどきしたけれど、いざ真実を告げてみると、母は意外なほどすんなり受け入れてくれた。『あなたは犯罪者でもレイピスト(婦女暴行者)でもないのだから』と言われた時は『そんな連中と比べないでよ』と思ったけどね(笑)」
英語の話せない母親が頼りにしていた一人息子を突然失ってしまう。息子の恋人リチャード、介護ホームでジュンと親しくなった英国人男性アラン、リチャードがジュンとアランの会話のために雇った中国人女性ヴァンらのエピソードが絡まり合って、ストーリーが展開していく。
現実と追憶の間のずれ 特に力を入れたのが、リチャードとカイのエピソード。わずか3シーンしかないが、いずれもリアルで自然な演技に引き込まれる。
「たった3シーンで二人の親密さや愛情が伝えられるかどうか心配だった。しかし、あまりシーンを増やすと『(カイが死んでしまって)不在だからこそ、懐かしく思える』という重要なテーマがぼやけてしまう。限られたシーンでカイに焦がれるリチャードの気持ちを表現しなければならなかった」
わざとらしい演出はしたくない。他人の私生活をのぞき見るような、自然な映像を撮りたい。そのためにはディテールを入念に描く必要があった。
「リチャード役のベン・ウィショーは、僕の要求をとてもよく理解してくれた。感心したのは、カイとのベッドシーンでささやくような話し方をしていたことだ。ごく近くに相手がいる時、人は小さな声で話すもの。ベンは自らのセンスで演技に取り入れていた」
ウィショーの好演もあって、撮影は順調に進んだが、編集段階で一つミスが出た。
「映像と音がずれていた。しかし、そのずれがかえって面白いと思った。リチャードの思い出の中で二人は一緒にいるが、現実にカイはいない。そのずれがうまく表現できていると思い、そのまま使った」
リチャードがカイの乳首の毛を抜くシーンは脚本どおり。
「カイ役のアンドリュー・レオンの体毛が薄いので、2テイクしか撮れなかったよ(笑)」
ノスタルジックな雰囲気 李香蘭(山口淑子)のヒット曲「夜来香」や、中国人歌手イー・ミンの歌う「Sway」などの懐メロ。介護ホームの50〜60年代風インテリア。音楽面、美術面の演出も周到だ。それらが醸し出すノスタルジックな雰囲気は、ジュンの歩んできた人生への想像力をかきたてる。
「介護ホームのインテリアは、テレビのドキュメンタリーを見ていて思いついた。番組の中で、米国の心理学者が『高齢者は、昔の幸福だった時代の記憶に囲まれて生活すると、精神的によい影響を受ける』と言っていて、使えると思った。亡き息子の思い出に生きている母親が、ノスタルジーに浸って暮らしている風景は、映画のテーマにもぴったり合う」
ベテランから新人まで 60年代から70年代にかけて“武侠映画の女王”として名をはせた女優チェン・ペイペイ。テレビ、映画、舞台など幅広いジャンルで活躍する英国の名優ピーター・ボウルズ。映画初出演となるカイ役のアンドリュー・レオン、演技経験すらなかったナオミ・クリスティ。「パフューム ある人殺しの物語」(06)で頭角を現し、活躍が期待されるベン・ウィショー。素人同然の若手から超ベテランまで、世代もキャリアも異なる俳優たちが共演している。
「高名な俳優から演技の経験がない俳優まで、でこぼこのアンサンブル。リハーサル期間は2週間。一つにたばねるのは大変だった」
ベテラン俳優にあれこれ注文を付けるのは、やはり今回が長編デビューの監督にとって、かなりのプレッシャーだったに違いない。
「一つよかったと思うのは、自分は中国語も話せるので、相手が(チェン・)ペイペイさんの時は、中国語を使えばよかったこと。また、ベン(・ウィショー)の場合は、メモを渡してメッセージを伝えたりと工夫した」
苦労の末に完成した作品は見事なアンサンブルとなっている。
「最終的にまとめることができたのは、俳優やスタッフの力が大きい。ベン・ウィショーもチェン・ペイペイも、僕の脚本をとても気に入ってくれて、何とかいい作品に仕上げようと頑張ってくれた。彼らの熱意はスタッフにも伝わった。いいい映画を作る目標に向かって、みんなの気持ちが一つになり、アンサンブルができた」
(文・写真 沢宮亘理)
「追憶と、踊りながら」(2014年、英国)
監督:ホン・カウ
出演:ベン・ウィショー、チェン・ペイペイ、アンドリュー・レオン、モーヴェン・クリスティ、ナオミ・クリスティ、ピーター・ボウルズ
2015年5月23日(土)、新宿武蔵野館、シネマ・ジャック&ベティほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://www.moviola.jp/tsuioku/作品写真:(c) LILTING PRODUCTION LIMITED / DOMINIC BUCHANAN PRODUCTIONS / FILM LONDON 2014