2013年10月25日

「ハンナ・アーレント」 ナチス逃亡犯は、平凡な男だった 逆風に貫かれた「思考」の記録

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 ひとり夜道を歩く男。背後で停車する1台の車。数人の男が飛び出し、男を拉致して車は走り去る。サスペンス映画さながらの冒頭シーンである。 場所はアルゼンチン。男の名はアドルフ・アイヒマン。第二次世界大戦中、ユダヤ人数百万人を強制収容所に送った人物だ。終戦後にアルゼンチンへ逃亡、潜伏していたが、1960年にイスラエル諜報部(モサド)に逮捕された。

 冒頭シーンは、その歴史的瞬間を再現したものだ。アイヒマンはイスラエルで裁判にかけられ、死刑を宣告される。ドイツ系ユダヤ人の政治哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、雑誌「ニューヨーカー」にレポートを発表する。しかし、その内容は同胞ユダヤ人の神経を逆なでし、アーレントは猛烈なバッシングを浴びる――。

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 厳しい逆風の中で決して屈することなく、信念を貫き通した「ハンナ・アーレント」の姿を追った作品だ。

 全世界のユダヤ人を敵に回してまで、アーレントが伝えたかったもの。それは20世紀最大の犯罪が、平凡極まりない人間によって遂行された事実だった。アーレントが傍聴席から目撃したのは、想像していたような凶悪な怪物ではなく、命令を忠実に実行する官僚的人物にすぎず、特にユダヤ人を憎んでいるわけでもなかった。

 映画は傍聴席に座るアーレントと、法廷に立つアイヒマンとを対照的に描き出す。思考する哲学者と、思考を放棄した官僚的人物。アイヒマンの証言場面は、実写フィルムが使われて、その凡庸ぶりが生々しく映し出される。貴重な映像かつ重要なシーンの一つだ。

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 だが見逃せないのは、アーレントの報告にヒステリックに反発する大衆の存在だ。彼らもアイヒマン同様、思考を放棄している。アーレントの師で愛人の哲学者マルティン・ハイデガーが「思考とは孤独な行為だ」と語る。思考がいかに困難かを表現したのだろう。

 アーレントは孤独と困難に耐え、徹底的に思考し続けた。そうすることで、かつてユダヤ人を虐殺し、今は自分を攻撃する“無思考”に対抗した。ラストの演説シーンは、無思考に対する思考の勝利宣言といえる。アーレントが整然と論理を積み重ね、聴衆を説得しながら、会場の熱気をかき立てる8分間は圧巻である。

(文・沢宮亘理)

「ハンナ・アーレント」(2012年、独・ルクセンブルク・仏)

監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演:バルバラ・スコヴァ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノエテン

2013年10月26日、岩波ホールほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

作品写真:(c)2012 Heimatfilm GmbH+Co KG, Amour Fou Luxembourg sarl,MACT Productions SA ,Metro Communicationsltd.

タグ:レビュー
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2012年10月06日

「マヤ 天の心、地の心」 現代を生きる私たちへ 警鐘と提言

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 メキシコに暮らす現代マヤ人の生活と、グアテマラに住む若いマヤ人の伝統と儀式の日々。彼らの日常を取材し、グローバリゼーションに翻弄され、マヤの文化や環境破壊が進行する中、それぞれが危機にどう立ち向かうかを浮き彫りにする「マヤ 天の心、地の心」。

 マヤ暦5125年のカレンダーは2012年12月21日で終わる。人々の不安をあおるまやかしの地球終末論と異なり、マヤ人の切実な証言を中心に、自然の繊細美とマヤの創世神話「ポポル・ヴフ」を描いた映像を織り交ぜたドキュメンタリー作品だ。現代のマヤ人約900万人が暮らすメキシコのチアパス州とグアテマラでは、グローバリゼーション、鉱山開発などによりマヤ人の文化や生活環境が崩壊の危機に瀕している。

 創世神話「ホポル・ヴフ」。空と海しかない無の状態から天の心と地の心、二人の神が地球に大地や植物を作り、動物や魚や昆虫を作った。神々は自分たちを崇める者として人間を作る。最初は土で人間を作るが失敗。次に木で作るがまた失敗。最後に神はトウモロコシから人間を作ることに成功する。現代マヤ人の思想には「ホポル・ヴフ」の神話が根付いている。

 作品に登場するのは、6人の現代マヤ人だ。

 北米最大かつ生物が最も多様な熱帯雨林に住み、マヤ系ラカンドン族最後のシャーマン(霊能者)になる勉強をしている“チャン・キン”は、「預言に基づく世界の浄化は始まっている」と言う。

 バレンケの廃墟で作業する天文考古学者でマヤ系ツェルタル族の“アロンゾ”は、祖先と同様にマヤの時間と空間に夢中だ。「マヤ人は時間をらせん状の周期としてとらえている。今現在、この瞬間、マヤ暦は次の周期に入ろうとしている」と言う。

 チアパス州の高地で暮らす“チェピータ”は、モンサント社の遺伝子組み換え種子からマヤ人の神話の起源であるトウモロコシを守る運動をしている。「私たちはトウモロコシの子。これが血となり肉となる」と言う。

 マヤ系ツォツィル族で、サパティスタ民族開放軍の元司令官“ヘロニモ”は、先住民の存在を認めない政府を批難する意味を込め、バンダナで顔を隠している。米モンサント社が行うトウモロコシの遺伝子組み換え技術に異論を唱える。

 幼い頃にグアテマラで起きた大虐殺を生き延び、消えない恐怖心に悩まされている“フローリ”。彼女は家族の半分が殺された故郷の村に戻り、金鉱山開発で環境を汚染する多国籍企業に抵抗するため、人々に団結を呼びかけている。

 マヤ系カクチケル族の“フェリペ”は、薬物中毒を克服。人々を癒すため、マヤの儀式を行うスピリチュアルなガイドとなっている。

 現代マヤ人6人の証言からは、現代文明社会に暮らす我々への警告が聞こえてくるようだ。先住民の生活を踏みにじり、地球を破壊し続ける。5125年のマヤ暦周期が終りを迎え、我々は初めて現代マヤ人の証言を理解するのかもしれない。マヤ文明や創世神話「ポポル・ヴフ」など、独特の文化や思想、宗教観がベースの作品。日本人には分かりづらい部分もあるが、彼らが発するメッセージを素直に受け取り、考える必要があるだろう。

(文・藤枝正稔)

「マヤ 天の心、地の心」(2011年、ドイツ)

監督・脚本:フラウケ・ザンディッヒ、エリック・ブラック
出演:ホセファ“チェピータ”・ヘルナンデス・ペレス、フロリダルマ・ペレス・ゴンザレス、カルロス・チャン・キン・チャヌク、カヒカン・フェリペ・メヒア・セペット、アロンソ・メンデス、ドン・アントニオ・マルティネス、グレゴリア・クリサンタ・ペレス、マウディラ・ロペス・カルドナ、ダビデ・ヘロニモ

10月6日、渋谷アップリンクで公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.heart-of-sky.net/

作品写真:(c)Eric Black
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2012年09月16日

「コッホ先生と僕らの革命」 “ドイツ・サッカーの父”、新たな扉を開く

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 第一次世界大戦前の1874年。帝国主義ドイツでは反英感情が高まり、イギリス生まれのサッカーは“反社会的”とされていた。そんな中、名門カタリネウム校にドイツ初の英語教師コンラート・コッホが、イギリスから着任した。生徒のイギリス=英語に対する強い偏見を払拭するため、コッホは授業にサッカーを取り入れる。子供たちは戸惑いながらも、サッカーの虜(とりこ)になっていく。コッホの型破りな授業は大人を敵に回すことになるが、それまで意思を持つことを許されなかった子供たちが立ち上がった──。

 “ドイツ・サッカーの父”、コンラート・コッホ(1848〜1911)の実話を基にしたドイツ映画だ。コッホ役には「グッバイ、レーニン」で注目された若手俳優ダニエル・ブリュール。監督はテレビ作品制作に携わる一方、大学などで教鞭をとるセバスチャン・グロブラー。今回が映画監督デビューとなる。

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 コッホが馬車に揺られ、カタリネウム校に到着する。進歩的な考えのメアフェルト校長が、コッホを留学先の英オックスフォードから呼び戻したのだ。4年ぶりに母校に帰ってきたコッホの手には、革製のサッカーボールがあった。一方、教室でコッホを待っていたのは、生徒たちのイギリスに対する強い偏見だった。

 帝国主義的な思考で支配する教師と、服従する生徒たちを冒頭で描く。授業に使う指示棒が何者かにノコギリで切られ、歴史教師のボッシュが「誰の仕業だ」と激高してコッホの教室に飛び込んでくる。級長のハートゥングが「ヨスト・ボーンシュテッドです」と答える。否定するヨストのかばんからノコギリが見つかった。ハートゥングが仕組んだいたずらで、ヨストは濡れ衣を着せられたのだ。監督は冒頭で教室の力関係を提示する。

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 ハートゥングの父は地元の名士。キリスト友会会長を務め、カタリネウム校でも絶大な権限を持つ。父は「ドイツ帝国の教育は、秩序と規律と服従がすべて」と考え、進歩的な教育を目指すコッホと対立する。一方、濡れ衣を着せられたヨストは、教室で唯一の労働者階級出身。奨学金制度でなんとか学校に通えているものの、ハートゥングらにいじめられている。物語はこの二人の生徒を中心に展開する。

 英語にまったく興味を示さない生徒たちを、コッホは体育館に連れ出し、サッカーボールを蹴ってみせる。体育の授業といえば体操だけ、ボールといえばリハビリに使う鉛入り医療用ボールしか触ったことがない生徒たちは、驚きの表情を見せる。見よう見まねで蹴るうち、快感を覚えサッカーに夢中になり、サッカー用語を通して英語に興味を示し、英語の授業を熱心に受けるようになる。

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 ドイツ帝国主義のもと、規律と服従を強制されていた生徒の前に現れたのは、イギリス帰りの進歩的教育を目指す型破りな教師だった。生徒は教師とサッカーに出合い、自立心が芽生え、革命を起こす。一見穏やかに見える19世紀末のドイツが舞台だが、貧富の差がドラマに暗い影を落としている。豪邸に暮らすハートゥングは使用人の少女と恋をするが、父親にとがめられ事故を起こす。サッカーで才能を開花させたヨストも、事故が原因で退学処分に。大人たちと対立するコッホも学校を去ることになり、クラスは危機を迎える。

 敵味方関係なく敬意を払う“フェアプレー”精神、仲間を思いやる“チームプレー”。サッカーを通して自立と成長を促すコッホと、彼と出会い解放されていく生徒の姿はすがすがしい。派手な作品ではないが、堅実な作りで心に染み入った。

(文・藤枝正稔)

「コッホ先生と僕らの革命」(2011年、ドイツ)

監督:セバスチャン・グロブラー
出演:ダニエル・ブリュール、ブルクハルト・クラウスナー、ユストゥス・フォン・ドーナニー、トマス・ティーマ

9月15日、TOHOシネマズシャンテほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://kakumei.gaga.ne.jp/

作品写真:(C)2011 DEUTSCHFILM / CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT / SENATOR FILM PRODUKTION
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2012年02月29日

「ピナ・バウシュ 夢の教室」 踊りを知らぬ少年少女 自己を放ち、初の舞台へ

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 2009年に逝去したドイツの天才舞踊家、ピナ・バウシュ。ヴッパタール舞踊団の芸術監督として、踊りと演劇を融合した独自の表現スタイル“タンツ・テアター(ダンス・シアター)”を確立し、数々の先鋭的作品を生み出したカリスマだ。

 彼女の代表作の一つに「コンタクトホーフ」がある。1978年に初演されて高い評価を受けた作品で、00年には65歳以上のアマチュアの男女をキャスティングして上演。07年には14〜17歳の、これもアマチュアの少年少女で上演され、いずれも大成功を収めている。

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 「ピナ・バウシュ 夢の教室」は、07年版「コンタクトホーフ」の練習風景を収めたドキュメンタリーである。ヴィム・ヴェンダースの「Pina ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち」(10)にも収められたが、“出会い”を求める男女のグループが、互いにさまざま方法でアピールし合い、駆け引きをし合う様子を描く演目だ。

 男性が女性の体に触れたり、男女が身体を密着させたり――。バウシュの作品にはそんな性的な表現が珍しくないが、「コンタクトホーフ」も例外ではない。それなりに恋愛経験もある大人の男女が演じることを前提にした作品だ。それを、初心なミドルティーンの生徒たちに演じさせる。ずいぶん挑戦的な試みである。

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 彼らは純然たるアマチュアだ。つまり舞台で演じたり踊ったりした経験がない。しかも、大半の者は恋愛も未経験。そんな少年少女たちを、ヴッパタール舞踊団のメンバー二人が、いかに指導し、どう鍛え上げていくのか。

 「コンタクトホーフ」は、他の演目のように高度な技術はさほど要求されない。代わりに徹底的な内面の解放が求められる。大事なのは、遠慮や羞恥といった感情を捨て去ることだ。しかし、思春期の男女にとっては容易なことではない。

 大声で笑う。異性の体に触る。衣服を脱ぐ――。シャイな少年少女たちが、数々の難題を克服しながら、次第に心の壁を崩し、自由な表現者へと脱皮していく過程は、スリリングかつ感動的だ。また、滅多に公開されないであろうピナ・バウシュ作品の舞台裏や練習風景が記録されている点で、さらには、バウシュの生前の姿を収めた最後の公式映像という点でも、貴重なドキュメンタリーである。

(文・沢宮亘理)

「ピナ・バウシュ 夢の教室」(2010年、ドイツ)

監督:アン・リンセル
出演:ピナ・バウシュ、ベネディクト・ビリエ、ジョセフィン=アン・エンディコット

3月3日、ユーロスペース、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.pina-yume.com/

作品写真:(c)TAG/TRAUM 2010
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2011年11月04日

第24回東京国際映画祭 「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」 ヴィム・ヴェンダース監督舞台あいさつ

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「あれほど美しいものを、私は見たことがなかった」
 第24回東京国際映画祭で、天才舞踊家の世界を描いた3D映画「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」が10月25日、特別招待作品として上映され、ヴィム・ヴェンダース監督が舞台あいさつした。ヴェンダース監督は、今は亡きピナについて「もう一緒に映画を作ることはできないが、ピナのダンサーたちとともに、ピナのために、この作品を作るべきだと思った」と語った。

 「1985年に初めてピナの舞台を見た瞬間から、彼女の映画を作りたいと思った。あれほど美しいものを、それまで見たことがなかった。翌日ピナに会いに行った私は、興奮して“あなたの映画を作らせてほしい”と願い出た。ピナも乗り気だった」

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 上映前の舞台に登場したヴェンダース監督は、映画化のきっかけと、バウシュとの出会いから話し始めた。

 「しかし、自分から映画化を切り出しながら、私はピナの舞踊をどう映像にすべきか、よい方法が思いつかず頭を抱えていた。ピナは会うたびに“早く映画を作りましょう”と言ってくれるが、私は壁にぶつかってしまった。ヒントを求めていろいろなダンス映画も見てみた。しかし、答えは見つからなかった。ピナは“準備できた?”と尋ねる。私は“ノー”と返す。そんなやり取りが何年も繰り返された」

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「ヒントはU2のコンサート映像。すぐにピナに電話した」
 20年後、ヴェンダース監督がようやく見つけた答え。それは3Dだった。

 「1960年代に3D映画が登場したが、すぐに廃れた。私もすっかり忘れていた。ところが、4年半ほど前に見た新しいデジタル3D映画に、とても感銘を受けた。それはU2のコンサート・フィルムだった」

 「これが答えだ」。確信したヴェンダース監督は、上映終了を待つのももどかしく、バウシュに電話し「映画化の方法が分かったよ」と伝えたのだった。

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「ところが、撮影に入る2カ月前、ピナは急死してしまった。ショックだった。ピナがいなくなってしまった以上、映画は断念しなくてはいけないと思った」

 しかし、バウシュが亡くなった後も、ダンサーたちは泣きながら踊り続けていた。その姿に打たれたヴェンダース監督は、再び映画化を決意したという。

「ピナと一緒に映画を作ることはできないが、ピナのダンサーたちとともに、ピナのために、この映画を作るべきだと思ったんだ」

(文・写真 沢宮亘理)

「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(2010年、ドイツ・フランス・イギリス)

監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ピナ・バウシュ、ヴッパタール舞踊団

2012年2月25日、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://pina.gaga.ne.jp/

作品写真:(c)2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION
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