「私にとって日記のような作品。理屈を捨て、新しい世界を発見する気持ちで見て」 腎臓病に冒され、死期を悟ったブンミが、義妹や亡き妻、失踪した息子らとともに過ごす最後の日々を、現実と幻想が入り混じる独創的な映像で描き出した「ブンミおじさんの森」。第63回カンヌ国際映画祭では、審査委員長のティム・バートン監督を「不思議な夢を見ているようだった」と驚嘆させ、タイ映画として初めて最高賞のパルムドールを獲得した。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督は「私にとっては個人的な日記のような作品。理屈を捨てて、新しい世界を発見するような気持ちで見てほしい」と語った=写真。
主なやり取りは次の通り。
「世界で映画の単一化が進んでいる。退屈なことだ」 ――カンヌでパルムドールを受賞した時の感想を。
コンペティション部門に選ばれるだけでもすごいと思っていたので、まさか賞を取れるとは想像もしていなかった。これまで私は、家族、愛する人、親しい人についての映画を作ってきた。「ブンミおじさんの森」はその集大成として、映画への思いを個人的な視点から映像化したものだ。今までの仕事すべてが評価された気がして、非常にうれしい。一つのサイクルが終わった気がする。
――審査委員長のティム・バートン監督が、受賞理由として「世界はより小さく、より西洋的に、よりハリウッド的になっている。でも、この映画には私が見たこともないファンタジーがあった」と語っていた。どう思うか。
確かに今、世界のどの映画に目を向けても、論理的で単一的な映画言語しか見られなくなっている。タイ映画も、いかにローカルな素材を扱っていようと、音楽の使い方や編集、構図など、世界中で作られている映画とまったく変わりがない。実に退屈なことだ。そんな単一性に対するカウンターバランス(均衡勢力)として、異質なものが求められたのだろう。
「作品全体が自分の記憶の“層”。メディアへのオマージュを捧げた」 ――日本では作家性の強い作品は興行的に成功しないことが多い。タイではどうか。また「ブンミおじさんの森」に対する反響は。
私も、批評的にすぐれた作品は興行成績が芳しくないと思っていた。ところが驚くべきことに、「ブンミおじさんの森」はタイで大ヒットした。カンヌで受賞する前から、海外セールスも好調で、最終的に40カ国以上で配給されることになった。感想をメールで伝えてくれる人もたくさんいた。東京フィルメックスで見た日本人は「感動した」と手紙をくれた。カンヌで賞を取るよりずっとうれしいことだったが、パルムドールが可能にしてくれた面もあるのかもしれない。
――王女と従者のシーン、猿の精霊と軍服を着た若者たちの静止画のシーンなど、本編の流れとは異質なシーンが挿入されている。
映画、マンガ、小説、テレビなど、私が成長する過程で接してきたメディアへのオマージュになっている。さまざまなメディアの記憶を、私は作品の中に層を重ねるように組み込んでいった。王女のシーンも、猿の精霊のシーンも、層の一つだ。映画全体を自分の記憶の層のような構造にしているわけだ。人の心は、時系列に従って動くわけではない。連鎖しない発想が次々に浮かんだりする。そういう心の動きをランダムに組み込んでいった。
王女のシーンは、テレビの時代劇の様式を借用している。このシーンでは、人間と自然との関係を描きたいと思った。王女は自分の外見や人生に満足できず、自然に身を任せる。水の中に入ってナマズと交尾をするのだが、もし子供が生まれたら、どんなハイブリッドな生命体になるだろうと想像してみると面白いと思う。
猿の精霊についても同じようなことが言える。猿はブンミの息子だが、人間の世界が生きにくかったので、ジャングルに入って行き、ハイブリッドな存在としての生き方を選んだわけだ。ただ、この話は政治的な解釈も可能だ。というのも、この地域では昔、共産主義の弾圧運動があり、多くの若い男が軍隊に追われ、ジャングルに逃げ込んだ歴史的事実があるからだ。だからブンミの息子を、当時の若い共産主義者と重ね合わせて見てもいい。
「人は闇を必要とする。命が生まれ、夢を見る場所だから」 ――夕食を囲むシーンでは、人間、精霊、死者を同じ空間に共存させているのが印象的だった。
食卓を囲むシーンは、昔のテレビドラマになぞらえた映像スタイルをとっている。当時のテレビドラマの中では、死者と生者は共存し、あの世もこの世に近い形で描かれていた。そんな記憶を探りながら、再現してみたシーンだ。昔のテレビドラマはスタジオでフイルム撮影しており、大きなカメラはあまり動かせなかった。照明も強くしないと映らなかった。時間の流れは、今のドラマよりゆったりしていた。昔見たそんな世界を、この映画の中に取り込んで、甦らせてみた。
余談だが、あのシーンは田舎で撮影したので、照明に集まってくる虫で苦労した。何度もテイクを重ねなければいけなかった。ジェンが殺虫ラケットで虫を感電死させるシーンがあるが、撮影中はみんなあのラケットを持ち歩いていたものだ(笑)。
――映画の原点である“光と闇”を強く感じさせられた。
死期を悟ったブンミは、ジャングルを抜けて、洞窟に入っていく。これから死を迎えるわけだが、生まれた場所に戻ろうとしているとも言える。洞窟とは生命が誕生した場所で、洞窟に入っていくということは、母胎に戻ることにほかならないからだ。自然から疎外されている現代人は、闇に包まれたジャングルや洞窟に恐怖しか感じないだろうが、本来はむしろ恐怖を取り去ってくれる、安心を与えてくれる場所なのだ。
洞窟はまた、映画の始まった場所ともいえる。石器時代の人々は、洞窟の壁を使って影絵芝居のようなことをしていたという。私にとって洞窟に戻ることは、映画を祝福する行為でもある。映画館は現代の洞窟ではないかと、本に書いたことがあるが、人はつねに闇を必要とする存在だと思う。夢を見るために闇は必要だし、目をつぶれば闇があり、閉じた目の裏側には映像が映る。人間は洞窟の闇を必要としているのだと思う。
「映像や音に身をゆだね、自分の経験を映画に重ね合わせてほしい」 ――特に気に入っているシーンは。
ブンミと妻のフエイが寝室にいるシーンが一番好きだ。夫妻が親密な会話を交わす長いショットだが、まるで二人は取りつかれたように役柄に入り込んでいた。いつもはそんなに親しくないのに、あの時はすごい熱の入り方だった。私は驚いて見ていた。とてもうまく撮れたので、テイクを重ねる必要はなかった。しかし、あまりにいい演技だったので、もう1回演じてもらった。カメラマンは撮影しながら泣いてしまった。今でもこのシーンを見ると、あの瞬間を思い出す。
――監督の作品が日本で劇場公開されるのは初めて。日本の観客にどう受け取ってほしいか。
「ブンミおじさんの森」は、私にとっては個人的な日記のようなもの。多くの人々に共有してもらえるのはとてもうれしい。ただし個人的な作品なので、説明しにくい部分も多い。だから観客には心を開いて、映像や音の流れに身をゆだねてほしい。理屈を捨てて、新しい世界を発見するような気持ちで見てほしい。そして自分自身の経験の中から、映画と重ねられるものを見つけ出してもらいたいと思う。
アピチャッポン・ウィーラセタクン 1970年、バンコク生まれ。幼少時からアートや映画に親しむ。24歳で米シカゴ美術館付属シカゴ美術学校に留学。ジョナス・メカス、マヤ・デレン、アンディ・ウォーホールらの実験的な映画に出会い、個人的な映画の製作を始める。「真昼の不思議な物体」(01)から「ブンミおじさんの森」(10)まで、すべての長編が東京フィルメックスで上映され、最優秀賞を2度獲得。カンヌ国際映画祭の常連でもあり、「ブリスフリー・ユアーズ」(02)である視点賞、「トロピカル・マラディ」(04)で審査員賞を受賞し、「ブンミおじさんの森」でついにパルムドールに輝いた。
(文・写真 沢宮亘理)
「ブンミおじさんの森」(2010年、イギリス・タイ・ドイツ・フランス・スペイン)
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:タナパット・サーイセイマー、ジェンチラー・ポンパス、サックダー・ケァウブアディー、ナッタカーン・アパイウォン
3月5日、シネマライズほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。
http://uncle-boonmee.com/作品写真:(c)A Kick the Machine Films