2016年05月13日

「すれ違いのダイアリーズ」ニティワット・タラトーン監督に聞く タイの小さな水上学校、まだ見ぬ相手への恋「一人になれば、誰かを精一杯思うことができる」

ニティワット・タラトーン監督1.jpg

 電気なし、水道なし、ネットなし。俗世から隔絶されたタイの田舎町。広大な湖に浮かぶ水上学校で、新米男性教師が前任の女性教師が書いた日記を見つける。寂しさや喜びが打ち明けられた文章を読むうち、まだ見ぬ彼女に恋心が芽生える──。

 ニティワット・タラトーン監督のタイ映画「すれ違いのダイアリーズ」は、日記がとりもつ教師二人の成長と、見知らぬ相手への恋を爽やかに描いた人間ドラマだ。ニティワット監督が聞いた二つの実話がベース。児童数人の水上学校、時間差で赴任した二人、互いをつなぐ手書きの日記帳。時間と空間を鮮やかに超える脚本が見事だ。

diary_main.jpg

 「軸になるテーマは二つ。まずはタイの教育。実在する水上学校の話を聞き、働いている先生の魂、自分を捧げる様子にひかれました。もう一つは恋愛。果たして人は顔を知らない人に恋ができるのでしょうか」

 二人のモデルになったのは、タイ北部、国内でただ1カ所の水上学校に勤務するサーマート先生。監督は初めて会った印象を振り返る。

 「とても素敵な人。謙虚でいつも微笑んでいる。何より感動したのは『皆が私をほめるが、ただ自分の仕事をしているだけ』と話されたこと。すごくかっこいいなあ、と思いました」

ニティワット・タラトーン監督2.jpg

 そんな先生をモデルに演じた俳優二人も、とても魅力的だ。特技はスポーツだけ、不器用な新米教師のソーン(スクリット・ウィセートケーオ=通称ビー)。熱意はあるが周りと衝突しがちな女性教師のエーン(チャーマーン・ブンヤサック、通称プローイ)。いわば「はみ出し者」の二人が、人里離れた湖上で子供たちと向き合い、成長していく。ロケ地は中部ペッチャブリー県の国立公園。どこまでも青い湖面、雄大な景色が二人を包み込む。

 「先生たちが向き合う苦労を、撮影チームも同じように経験しました。何もないところに一からセットを作り上げ、寂しさや距離、困難を感じました。水の中で泳ぐシーンも体を張ってくれて、俳優たちもよく頑張ってくれました」

diary_sub1.jpg diary_sub2.jpg

 ソーン先生を演じたビーは、タイで絶大な人気を誇るポップ歌手。今回が映画初出演で、みずみずしい魅力はソーン先生にぴったり。ひとり赴任した小さな学校で、手書きの日記を読む背中に寂しさを感じつつ、観客もエーン先生に思いをはせるだろう。監督は微笑んだ。

 「ネットもつながらない隔絶された環境。一人になることは自分に向き合うことでもある。それは誰かを精一杯思うことができる空間、時間でもありますよね」

(聞き手:魚躬圭裕 写真:阿部陽子)

「すれ違いのダイアリーズ」(2014年、タイ)

監督:ニティワット・タラトーン
出演:スクリット・ウィセー
トケーオ、チャーマーン・ブンヤサック、スコラワット・カナロット

2016年5月14日(土)、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.moviola.jp/diaries2016/

作品写真:(C)2014 GMM Tai Hub Co., Ltd.
posted by 映画の森 at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

「光りの墓」アピチャッポン監督最新作 “眠り病”と王国の戦争 時空を超え非合理な世界

hikari_main.jpg

 タイ東北部イサーン地方。かつて学校だった仮設病院に、中年女性ジェンがやってくる。“眠り病”に冒された兵士たちの世話をしにきたのだ。何千年も前、この近くで王国間の戦争があり、病院がある場所は国王たちの墓だった。国王たちの魂は、兵士たちの生気を吸って、今も戦いを続けている。眠り病はそのせいで起きていた――。

 眠り病を治療する装置が珍妙だ。ベッド脇に管を据え付け、青、緑、赤などさまざまに変色する光を流す。装置のメカニズムは説明されず、治療効果も不明。暗闇の中で多色変化する光が醸し出す光景は、SF映画さながらである。

 幻惑的な光は、やがて病院外にも侵出。外出した兵士の中には、突如として眠り込んでしまう者もいる。眠り病が引き起こす唐突な展開は、しばしば笑いを誘う。だが、ユーモラスな描写の裏には、タイが歩んできた流血の歴史と不穏な政情が透けて見える。

hikari_sub2.jpg

 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の過去作と比べ、ややメッセージ性が強い作品。とはいえ、過去と現在、現実と夢想が境目なく続く非合理な世界は健在だ。ジェンが礼拝した仏堂にまつられていた王女姉妹が、現代女性として現われ、ジェンに眠り病の秘密を語るシーン。霊能者の女性に乗り移った兵士が、ジェンを観客からは見えない王宮へと案内するシーン――。シュールなシーンの合間には、空き地を掘り起こす工事風景、公園で市民が運動する風景など、ごく日常的なカットが挿入される。

 カンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)をタイ映画として初めて獲得した「ブンミおじさんの森」(2010年)で来日時、監督は自作について「映画全体を自分の記憶の層のような構造にしている」と説明していた。今回も構造は変わらない。舞台となっている仮設病院は、母親が勤務していた病棟の記憶、ジェンがイットと一緒に見るホラー映画は、少年時代に足しげく通った映画館の記憶がベースとなっているようだ。古代王朝や霊の話も、幼少時から親しんできた世界であり、“眠り病”は新聞記事で読んだ話がヒントになったという。

hikari_sub1.jpg

 記憶の一つひとつを起承転結のストーリーに組み込むことなく、「連鎖しない発想が次々と浮かぶ」心の動きに従って自由に組み合わせているのが、アピチャッポン監督の映画である。ストーリーにこだわらず、映像の流れに身を委ねていればよい。見終わった瞬間に、多くの鮮烈なイメージとともに、強烈なメッセージが立ち上がる。

(文・沢宮亘理)

「光りの墓」(2015年、タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア)

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラム

2016年3月26日(土)、シアター・イメージフォーラムほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

www.moviola.jp/api2016/haka 

作品写真:(c)Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
タグ:レビュー
posted by 映画の森 at 06:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

「マッハ!無限大」トニー・ジャー、生身アクション炸裂 サービス精神たっぷりに

mahha_main.jpg

 タイの村で象のコーンと暮らす格闘技ムエタイ兵士の末裔カーム(トニー・ジャー)。ある日、突如現れた動物密輸組織のボス、スチャートにコーンがさらわれる。コーンを取り戻そうとするが、スチャートはすでに何者かに殺されていた。警察やスチャートの姪ピンピン(ジージャー・ヤーニン)は、現場に居合わせたカームを犯人と断定。追跡を開始する──。

 タイ製作アクション映画「マッハ!」(03)。主演のトニー・ジャーがCG(コンピューター・グラフィックス)、ワイヤー、早回し、スタントを使わず、肉体から繰り出すムエタイを前面に押し出した作品は、多くの映画ファンの度肝を抜いた。続いて製作された「トム・ヤム・クン」(05)は主演のトニー・ジャー、プラッチャヤー・ピンゲーオ監督、アクション監督のパンナー・リットゲライが再集結。世界公開された。

mahha_sub1.jpg

 今回の「マッハ!無限大」は、原題「トム・ヤム・クン2」が示す通り、「トム・ヤム・クン」の正式な続編。「マッハ!」の3人が再び顔をそろえた作品だが、ジャー主演作として知名度の高い「マッハ!」シリーズのように公開され、混乱を招いている。

 それはさておき、物語は幕開けから時間をさかのぼる形で展開する。カームが人質を取り、警察に追い詰められ、ビルの屋上から転落。謎のオープニングだが、物語自体はシンプルだ。カームは弟のようにかわいがるコーンが動物密輸組織にさらわれ、さまざまな事件に巻き込まれながら、次々現れる敵や刺客と対決する。徹頭徹尾アクション満載だ。ストーリーよりむしろ、ジャー本人がノースタントで演じる超絶アクションを楽しむべきだろう。

mahha_sub2.jpg

 ジャーのムエタイや関節技のほか、「チョコレート・ファイター」(08)のアクション少女、ジージャー・ヤーニンとの一騎打ちもある。アパートの屋上から地上へ展開する派手なバイクアクション。バイク軍団300人とジャーのチェイスはカーアクションに発展。ジャーは車の屋根にしがみつき、橋から転落して宙吊りになる。これでもまだまだ序の口だ。格闘家同士の地下バトル、電流デスマッチ、フランス発祥のスポーツ“パルクール”も取り入れるなど、ジャーの生身の動きに作りこまれたアクションが融合する。

 ジャーの「ノースタント」は健在だが、CG合成やワイヤーも多用したのは時代の要求か。エンドロールではジャッキー・チェンさながら、NGシーンや撮影の裏まで披露。あっけらかんとしたサービス精神で、ジャーの魅力がたっぷり詰まったタイ製アクションだ。

(文・藤枝正稔)

「マッハ!無限大」(2013年、タイ)

監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
出演:トニー・ジャー、ジージャー・ヤーニン、RZA、ペットターイ・ウォンカムラオ、マレセ・クランプ

2015年2月14日(土)、新宿武蔵野館ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://mach-infinite.com/

作品写真:(C)2013 SAHAMONGKOLFILM INTERNATIONAL CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

タグ:レビュー
posted by 映画の森 at 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

「ブンミおじさんの森」でカンヌ最高賞 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督に聞く

「私にとって日記のような作品。理屈を捨て、新しい世界を発見する気持ちで見て」

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督.jpg

 腎臓病に冒され、死期を悟ったブンミが、義妹や亡き妻、失踪した息子らとともに過ごす最後の日々を、現実と幻想が入り混じる独創的な映像で描き出した「ブンミおじさんの森」。第63回カンヌ国際映画祭では、審査委員長のティム・バートン監督を「不思議な夢を見ているようだった」と驚嘆させ、タイ映画として初めて最高賞のパルムドールを獲得した。アピチャッポン・ウィーラセタクン監督は「私にとっては個人的な日記のような作品。理屈を捨てて、新しい世界を発見するような気持ちで見てほしい」と語った=写真。

 主なやり取りは次の通り。

「世界で映画の単一化が進んでいる。退屈なことだ」
 ――カンヌでパルムドールを受賞した時の感想を。

 コンペティション部門に選ばれるだけでもすごいと思っていたので、まさか賞を取れるとは想像もしていなかった。これまで私は、家族、愛する人、親しい人についての映画を作ってきた。「ブンミおじさんの森」はその集大成として、映画への思いを個人的な視点から映像化したものだ。今までの仕事すべてが評価された気がして、非常にうれしい。一つのサイクルが終わった気がする。

 ――審査委員長のティム・バートン監督が、受賞理由として「世界はより小さく、より西洋的に、よりハリウッド的になっている。でも、この映画には私が見たこともないファンタジーがあった」と語っていた。どう思うか。

 確かに今、世界のどの映画に目を向けても、論理的で単一的な映画言語しか見られなくなっている。タイ映画も、いかにローカルな素材を扱っていようと、音楽の使い方や編集、構図など、世界中で作られている映画とまったく変わりがない。実に退屈なことだ。そんな単一性に対するカウンターバランス(均衡勢力)として、異質なものが求められたのだろう。

ブンミおじさんの森.jpg

「作品全体が自分の記憶の“層”。メディアへのオマージュを捧げた」
 ――日本では作家性の強い作品は興行的に成功しないことが多い。タイではどうか。また「ブンミおじさんの森」に対する反響は。

 私も、批評的にすぐれた作品は興行成績が芳しくないと思っていた。ところが驚くべきことに、「ブンミおじさんの森」はタイで大ヒットした。カンヌで受賞する前から、海外セールスも好調で、最終的に40カ国以上で配給されることになった。感想をメールで伝えてくれる人もたくさんいた。東京フィルメックスで見た日本人は「感動した」と手紙をくれた。カンヌで賞を取るよりずっとうれしいことだったが、パルムドールが可能にしてくれた面もあるのかもしれない。

 ――王女と従者のシーン、猿の精霊と軍服を着た若者たちの静止画のシーンなど、本編の流れとは異質なシーンが挿入されている。

 映画、マンガ、小説、テレビなど、私が成長する過程で接してきたメディアへのオマージュになっている。さまざまなメディアの記憶を、私は作品の中に層を重ねるように組み込んでいった。王女のシーンも、猿の精霊のシーンも、層の一つだ。映画全体を自分の記憶の層のような構造にしているわけだ。人の心は、時系列に従って動くわけではない。連鎖しない発想が次々に浮かんだりする。そういう心の動きをランダムに組み込んでいった。

 王女のシーンは、テレビの時代劇の様式を借用している。このシーンでは、人間と自然との関係を描きたいと思った。王女は自分の外見や人生に満足できず、自然に身を任せる。水の中に入ってナマズと交尾をするのだが、もし子供が生まれたら、どんなハイブリッドな生命体になるだろうと想像してみると面白いと思う。

 猿の精霊についても同じようなことが言える。猿はブンミの息子だが、人間の世界が生きにくかったので、ジャングルに入って行き、ハイブリッドな存在としての生き方を選んだわけだ。ただ、この話は政治的な解釈も可能だ。というのも、この地域では昔、共産主義の弾圧運動があり、多くの若い男が軍隊に追われ、ジャングルに逃げ込んだ歴史的事実があるからだ。だからブンミの息子を、当時の若い共産主義者と重ね合わせて見てもいい。

ブンミおじさんの森2.JPG

「人は闇を必要とする。命が生まれ、夢を見る場所だから」
 ――夕食を囲むシーンでは、人間、精霊、死者を同じ空間に共存させているのが印象的だった。

 食卓を囲むシーンは、昔のテレビドラマになぞらえた映像スタイルをとっている。当時のテレビドラマの中では、死者と生者は共存し、あの世もこの世に近い形で描かれていた。そんな記憶を探りながら、再現してみたシーンだ。昔のテレビドラマはスタジオでフイルム撮影しており、大きなカメラはあまり動かせなかった。照明も強くしないと映らなかった。時間の流れは、今のドラマよりゆったりしていた。昔見たそんな世界を、この映画の中に取り込んで、甦らせてみた。

 余談だが、あのシーンは田舎で撮影したので、照明に集まってくる虫で苦労した。何度もテイクを重ねなければいけなかった。ジェンが殺虫ラケットで虫を感電死させるシーンがあるが、撮影中はみんなあのラケットを持ち歩いていたものだ(笑)。

 ――映画の原点である“光と闇”を強く感じさせられた。

 死期を悟ったブンミは、ジャングルを抜けて、洞窟に入っていく。これから死を迎えるわけだが、生まれた場所に戻ろうとしているとも言える。洞窟とは生命が誕生した場所で、洞窟に入っていくということは、母胎に戻ることにほかならないからだ。自然から疎外されている現代人は、闇に包まれたジャングルや洞窟に恐怖しか感じないだろうが、本来はむしろ恐怖を取り去ってくれる、安心を与えてくれる場所なのだ。

 洞窟はまた、映画の始まった場所ともいえる。石器時代の人々は、洞窟の壁を使って影絵芝居のようなことをしていたという。私にとって洞窟に戻ることは、映画を祝福する行為でもある。映画館は現代の洞窟ではないかと、本に書いたことがあるが、人はつねに闇を必要とする存在だと思う。夢を見るために闇は必要だし、目をつぶれば闇があり、閉じた目の裏側には映像が映る。人間は洞窟の闇を必要としているのだと思う。

ブンミおじさんの森3.jpg

「映像や音に身をゆだね、自分の経験を映画に重ね合わせてほしい」
 ――特に気に入っているシーンは。

 ブンミと妻のフエイが寝室にいるシーンが一番好きだ。夫妻が親密な会話を交わす長いショットだが、まるで二人は取りつかれたように役柄に入り込んでいた。いつもはそんなに親しくないのに、あの時はすごい熱の入り方だった。私は驚いて見ていた。とてもうまく撮れたので、テイクを重ねる必要はなかった。しかし、あまりにいい演技だったので、もう1回演じてもらった。カメラマンは撮影しながら泣いてしまった。今でもこのシーンを見ると、あの瞬間を思い出す。

 ――監督の作品が日本で劇場公開されるのは初めて。日本の観客にどう受け取ってほしいか。

 「ブンミおじさんの森」は、私にとっては個人的な日記のようなもの。多くの人々に共有してもらえるのはとてもうれしい。ただし個人的な作品なので、説明しにくい部分も多い。だから観客には心を開いて、映像や音の流れに身をゆだねてほしい。理屈を捨てて、新しい世界を発見するような気持ちで見てほしい。そして自分自身の経験の中から、映画と重ねられるものを見つけ出してもらいたいと思う。

 アピチャッポン・ウィーラセタクン 1970年、バンコク生まれ。幼少時からアートや映画に親しむ。24歳で米シカゴ美術館付属シカゴ美術学校に留学。ジョナス・メカス、マヤ・デレン、アンディ・ウォーホールらの実験的な映画に出会い、個人的な映画の製作を始める。「真昼の不思議な物体」(01)から「ブンミおじさんの森」(10)まで、すべての長編が東京フィルメックスで上映され、最優秀賞を2度獲得。カンヌ国際映画祭の常連でもあり、「ブリスフリー・ユアーズ」(02)である視点賞、「トロピカル・マラディ」(04)で審査員賞を受賞し、「ブンミおじさんの森」でついにパルムドールに輝いた。

(文・写真 沢宮亘理)

「ブンミおじさんの森」(2010年、イギリス・タイ・ドイツ・フランス・スペイン)

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:タナパット・サーイセイマー、ジェンチラー・ポンパス、サックダー・ケァウブアディー、ナッタカーン・アパイウォン

3月5日、シネマライズほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://uncle-boonmee.com/

作品写真:(c)A Kick the Machine Films
posted by 映画の森 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

カンヌ国際映画祭 パルムドールにタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督「ブンミおじさん」

ブンミおじさん.jpg

 第63回カンヌ国際映画祭は23日、最高賞のパルムドールにタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督「ブンミおじさん」を選んで閉幕した。タイ映画のパルムドール受賞は初。アピチャッポン監督は「タイとタイ人の歴史にとって、この賞は非常に重要なものだ。(受賞は)タイの精霊と幽霊のおかげ。30年前、地元の小さな映画館に連れて行ってくれた両親に感謝する」と喜びを語った。「ある視点」部門作品賞のホン・サンス監督(韓国)に続き、コンペティション部門最高賞もアジア映画が制した。

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督.jpg

 「ブンミおじさん」は、輪廻転生を軸にした幻想的な物語。病で死期の近いブンミおじさんのもとに、死んだはずの妻と失踪した息子が出現。ブンミおじさんは二人を連れ、自分が生まれたジャングルへ向かう。映画祭期間中、現地で開かれた記者会見で、アピチャッポン監督は製作の動機を「私はタイ東北部で育った。当時の思い出を呼び起こし、私が育った風景を見せることが狙い」と話した。作品の中で重要な役割を果たす精霊について、監督は「タイ人はみな、魂は動物、人間、自然の間を移動すると考えている。私の世代でも多くのタイ人が霊の存在を信じている。子供のころの空想をとらえ、死と結び付けたかった」と語った。

続きを読む
posted by 映画の森 at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする