2015年12月09日

「独裁者と小さな孫」権力者の虚栄と転落 巨匠マフマルバフ、暗喩で痛烈批判

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 独裁国家にある日、クーデターが起きた。老いた大統領は幼い孫と逃げ出した。多くの罪なき国民を処刑してきた冷酷な男は、変装で素顔を隠して海を目指す。逃亡の果てに二人が見た光景は──。

 冷酷非情な大統領と、無垢で純真な5歳の孫。クーデターは大統領が孫との遊んでいる最中に起きる。宮殿からの電話が突然通じなくなったのだ。軍事行動を見せるのではなく、当たり前の特権が急に失われたことで、事態が急変したことを伝える。

 翌朝、大統領の妻と娘たちは飛行機へ国外へ逃げた。大統領はぐずる孫と車で逃げるが、町は暴徒と化した民衆で埋め尽くされていた。政権は崩壊し、大統領の首には賞金がかけられていた。

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 追われる大統領は町でぼろぼろの服を奪い、かつらをかぶり、羊飼いや旅芸人に化ける。孫にはスカーフをかぶせ、女の子に見せかけて逃亡を続ける。行く先々で自分の悪評を聞き、大統領は初めて自らの罪を知る。目指した海に着いたが、さらなる試練が待ち受けていた。

 イランの巨匠モフセン・マフマルバフ監督の新作「独裁者と小さな孫」。架空の国を舞台に独裁者の転落と悔恨を描く。イラク、シリア、アフガニスタン……今も世界を苦しめる負の連鎖。自らも祖国を追われて10年になる監督が、現状に痛烈な批判を投げかけているようだ。

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 国民を平気で処刑する大統領は、孫にとっては優しい祖父である。大統領は一貫して孫の視点で描かれるため、観客は恐ろしい裏の顔を見ることはない。物語の後半、二人が海辺で作った砂の宮殿が、波にさらわれもろくも崩れ去る。独裁者の虚栄と転落を暗喩している。

 老人と孫のロードムービーの形で、支配者が国民の痛みや苦しみを知る。サスペンスとシニカルな視点を同居させた演出も秀逸だ。今の世界情勢につながるテーマでもあり、タイムリーで見応えある作品になっている。

(文・藤枝正稔)

「独裁者と小さな孫」(2014年、ジョージア・フランス・イギリス・ドイツ)

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリ、ラ・スキタシュビリ、グジャ・ブルデュリ、ズラ・ベガリシュビリ

2015年12月12日(土)、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://dokusaisha.jp/
タグ:レビュー
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2014年06月30日

「マダム・イン・ニューヨーク」 インドの主婦、異国で目覚める 自立と成長の物語

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 インドの新人女性監督、ガウリ・シンデーの長編デビュー作「マダム・イン・ニューヨーク」。派手なアクション、歌やダンスが印象的なインド映画に対する固定観念を覆し、主婦の自立と成長を描いた温かいドラマだ。

 主人公のシャシには1970〜90年代に活躍し、「インド映画史100年国民投票」女優部門1位を獲得したシュリデヴィ。97年の結婚を機に引退状態だったが、15年ぶりにカムバックした。夫のサディシュには「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」(12)のアディル・フセイン。飛行機でシャシと隣り合わせた乗客役で、国民投票男優部門1位に輝いた大スター、アミターブ・バッチャンが特別出演している。

 インドの主婦シャシ(シュリデヴィ)は英語が話せず、家族から馬鹿にされてコンプレックスを抱えていた。ところが姪の結婚式を手伝うため、家族を残して一人ニューヨークへ行くことになる。不安いっぱいで飛行機に乗り込んだが、隣席の優しい乗客(バッチャン)の助けで楽しく過ごす。

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 しかし、到着したニューヨークでは異国での洗礼を受ける。立ち寄ったカフェで英語が通じず、高圧的で意地悪な女性店員にいじめられ、シャシは買った品物を置いて店から逃げ出してしまう。落ち込んだシャシの目に飛び込んだのは、英会話学校の広告「4週間で英語が話せる」だった──。

 平凡な主婦が異国で自我を確立し、覚醒していく。どこまでも温かい作品だ。ニューヨークで孤独だったシャシは、英会話学校で自分と同じように異国から来た仲間たちと出会う。多民族が暮らす街でシャシは居場所を見つけ、仲間と英語を学ぶうち、女性としてのプライドと自信を取り戻す。

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 妻であり母であるシャシは、ニューヨークでさまざまな体験をする。フランス人のクラスメートとの淡いロマンスも経験。家族に尽くすばかりだったシャシが、大人の女性として一皮むける。姪の結婚式で披露される感動的なスピーチ。言葉の壁を乗り越え、目覚めた姿がそこに凝縮している。

 インド菓子の“ラドゥ”を小道具として効果的に使いながら、インド映画恒例のダンスで締めくくる。初メガホンと思えぬバランス感覚で、主人公の揺れ動く内面を丁寧に描き出した監督。シュリデヴィの繊細な演技と、監督が「実母をイメージして」書いた脚本が相まり、母への思いがこもる珠玉の1本となった。

(文・藤枝正稔)

「マダム・イン・ニューヨーク」(2012年、インド)

監督:ガウリ・シンデー
出演:シュリデヴィ、アディル・フセイン、アミターブ・バッチャン、メーディ・ネブー、プリヤ・アーナンド

2014年6月28日(土)、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://madame.ayapro.ne.jp/

作品写真:(C)Eros International Ltd
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2014年01月04日

「微笑み絶やさず」モフセン・マフマルバフ監督に聞く アジア映画の今(3) イランを離れて10年 「映画を作れる場所が私の家」

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 祖国を離れて約10年。イランのモフセン・マフマルバフ監督は、自らを「世界を旅する放浪者」と呼ぶ。新年連続インタビュー「アジア映画の今」最終回は、第14回東京フィルメックス審査委員長を務めたマフマルバフ監督。イランを代表する監督でありながら、人権・社会活動などが当局に問題視され、いまだ帰国できていない。監督は「映画を作れる場所が私の家だ」と語る。

 1957年、テヘラン生まれ。10代で革命運動に身を投じ、4年余りの投獄生活を経験した。82年に映画監督デビュー。87年の「サイクリスト」が「イラン人なら誰もが観た」と言われるほどの大ヒット。世界各地の映画祭で紹介され、高い評価を得る。代表作に「パンと植木鉢」(95)、「カンダハール」(01)など。最新作は釜山国際映画祭の前ディレクター、キム・ドンホ氏に密着したドキュメンタリー「微笑み絶やさず」。今回のフィルメックスで上映された。

 2004年、保守強硬派のアフマディネジャド政権発足を前にイランを出国。アフガニスタン、タジキスタン、フランスを経て英国に移住した。妻のマルズィエ・メシュキニ、娘のサミラとハナも監督、息子のメイサムはプロデューサーの映画一家だ。

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 主なやり取りは次の通り。

「キム・ドンホ氏は『制限の中から何かを生み出す』人」

 ──キム・ドンホ氏は韓国当局の検閲担当だった。にもかかわらず、検閲制度の廃止に成功した理由はどこにあったと思うか。

 彼はあらゆることから「何かを生み出せる」人だ。検閲問題は別にして、制限の中で何かを探している。私は人間とは、芸術家か牧師のどちらかだと思う。彼が牧師であり、宗教的な人であっても、宗教の中から芸術を探し出せたのではないか。

 ──人間的にどんな面に最も魅力を感じたか。

 性格だ。「本当の人間」は彼のような人を指す。彼は他人をとても尊敬している。有名無名にかかわらず、誰にも平等に対応する。いつも微笑んでいる。映画祭のボランティアと、ジュリエット・ビノシュに見せる笑みが一緒。それをコントロールするのは大変だと思う。

 マネージメント能力が非常に高い。作業の過程でどんどん新しいものを生み出す。普通はできないことだ。

「イランを離れて9年以上。映画を作れる場所が私の家」

 ──監督がもしイランに帰れたら、どんな作品を撮りたいか。

 難しい。(しばらく考えて)戻ってみないと状況が分からない。イランには語られていない物語がたくさんある。状況によって選ぶテーマは変わると思う。

 私は04年にイランを出て、アフガニスタンで映画を2年間教えた。イランでは(保守強硬派の)アフマディネジャド大統領が誕生した。しかし、(娘で映画監督の)サミラの撮影現場で爆発事件があり、タジキスタンへ移って2年を過ごした。現地では映画祭を開催したり、映画製作を教えたり。作品も「セックスと哲学」など2本撮った。

 さらに政治的な理由でフランスへ行った。フランス滞在中、イランで不正選挙に抗議する暴動が起きた。その関連で1年半ほど活動したり、イランからの避難民の世話をした。だがフランスの警察に「あなたはテロ攻撃を受けるかもしれない。護衛を付けます」と言われた。どこへ行くにも誰かついてくる。嫌になった。(国境検査を免除する欧州の)シェンゲン協定のため、パリは人がどこからでも入って来る。そこで(同協定適用外の)英国へ行き、再び映画を撮り始めた。イスラエル、イタリア、ロンドン、韓国など各地で撮ってきた。

 イランを出て9年以上になる。最近は映像製作より小説を書くことに力を入れてきた。各国でワークショップも行った。次はグルジアで長編を撮るつもりだ。

 今はイランの旅券が更新できず、フランスの旅券を取得し、英国に住んでいる。英国は子供たちが住んでいるといった方が正しい。私は1年の半分は自宅にいない。世界をあちこち旅する放浪者。映画祭やワークショップ会場では、本音を出せるから好きだ。映画を作れる場所が私の家。僕は地球生まれで、自分の国は映画だと思っている。

 私たち人間はみな地球人だ。国境を作った人々に腹が立つ。いったい誰が作ったんだ? 言葉はなぜたくさんあるんだ? みな自国の文化や言葉を大事にするが、同じ言葉を話せばいいのに。いつか「地球語」が話される日が来るだろう。それは映画かもしれない。映画はみなが語るものだから。

 言葉の壁を取り払えば、どこの人も皆同じだ。恋に落ちたり、ふられたり、笑ったり、泣いたり、孤独を感じたりする。みな同じ人間だから。

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「イラン映画の質は落ちた。検閲とデジタル化が原因」

 ──故国を離れて放浪者になった。つらい時には何が支えになっているか。

 これまで世界50カ国を訪れた。心が折れることもしばしばだ。つらい時は「自分はどれほど人の心を壊してきたか」と考える。今後は人を傷つけないようにしようと思う。人の尊厳について考える。

 誰かに何かを「食べなさい」と言うのと、「どうぞ食べて下さい」と言うのでは、あなたと対象の関係は異なる。あなたが命令する時は、相手が逆に上にいるのだ。

 今の私たちはどんな国、どんな社会も、人を人として見ていない。肩書きで人を見下している。誰かに肩書きで見られた時、私の心は折れる。しかし、悲しみをエネルギーに変えて書くんだ。

 ──海外から見てイラン映画界はどう変化したか。

 悪化している。検閲とデジタル化が原因だ。昔は特別な人が特別な話をしたい時、映画を撮影するものだった。今は携帯電話一つで誰でも撮れる。製作本数が観る人の数より多い。観客より映画監督の方が多い。

 作品の質は落ちている。イランではここ数年、検閲が非常に厳しかった。今いい映画を探し当てるには、1000本は観なければならない。昔は映画が一つの視線を持っていた。今はみなカメラをただ持っているだけ。ペンを持つ人が、全員記者とはいえないだろう?

「ピエロ、先生、マジシャン。一人の監督に三つの要素が必要」

 ──監督からみて良い映画とは。

 難しい。私にとって映画は娯楽。最初から最後まで見続けられれば、良い映画だろう。黒澤明作品のようにね。テーマ性が非常に強く、深い話をしているのに、最後まで座って観ていられる。

 ただ、娯楽性だけでは商業映画になってしまう。人に何を教えられるのか。ピエロのように人を楽しませ、先生のように教える。これだけではテレビドラマだ。さらに必要なのは魔法と詩。一人の監督の中に、ピエロ、先生、マジシャンがいなければならない。三つそろえば良い映画ができる。(黒澤明監督の)「羅生門」を思い出してほしい。最初から最後まで、観客は「物語はどこへ行き、どうなるのだろう」と思いながら観る。

 魔法使いのように私たちを引き込むから、何度も観たくなる。だから「羅生門」はマジックなのだ。娯楽性だけの作品は商業映画だ。学ぶだけの映画は宣伝性が強くなる。マジックだけの映画もある。見た直後は魔法にかかったように思うが、数日後には消えてしまう。

 しかし、娯楽性のない映画は終わりまで観られない。学ぶものがない映画は楽しいだけ。マジックのない映画は2度観たくない。(イランのアミール・ナデリ監督作)「駆ける少年」はマジックだ。だから何度でも観られる。しかし、デジタル化が進んで以降、三つを兼ね備えた作品はなくなった。イランに限らず世界的な現状だ。

(文・写真 遠海安)

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2012年12月19日

「駆ける少年」 倒れ、殴られ、踏まれても 立ち上がり生きる 不屈の魂

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 おそらく孤児なのだろう。少年は浜辺に打ち上げられた廃船で一人暮らしている。名前はアミル。この映画の監督と似た名前だ。海岸に打ち寄せられた空き缶を回収したり、冷水を売ったりして、生活費を稼いでいる。  

 空き缶回収には、アミルと同じ境遇の少年が多数参加する。早い者勝ちの真剣勝負だ。この仕事では新参者のアミル。苦労して集めた空き缶を横取りしようとする卑怯な奴もいる。だがアミルは屈しない。主張し、抵抗し、戦い、自分の権利を守り抜く。

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 冷水販売でも同じだ。代金を踏み倒し自転車で逃走する男を、アミルは許さない。走って、走って、追いついて、自転車を突き倒し、代金を払わせるのだ。代金を手にしたアミルが見せる満面の笑顔が実にいい。

 白人水兵らを相手に始めた靴磨きの仕事では、盗みの濡れ衣を着せられる。アミルは名誉をかけて白人に戦いを挑む。逃げる男を追いかけ、捕まえ、コテンパンにやっつけたアミルは、ここでも「してやったり!」と黄金の笑顔を見せるのだ。

 「駆ける少年」というタイトルのとおり、アミルは全編を通して走りまくる。列車との競走では俊足の少年に敗れはするが、アミルは勝負の決着後も走り続ける。負けても引き下がらない、不屈の魂。

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 文字が読めないことに気付けば、自ら学校に出向き、アルファベットを暗唱する。アミルは常に自分で人生を切り開く。白い大きな船や、青と白のセスナに憧れを抱き、いつか豊かな世界へ飛び出すことを夢見ている。だからアミルの瞳は、いつも明るく輝いている。

 圧巻は、燃え盛る炎の近くに置かれた氷塊めざして争う競走シーン。アミルはライバルたちと競り合い、足がもつれ、何度も何度も倒れる。しかし、倒れるたびに立ち上がり、全力で走り続ける。少年たちの躍動する肉体、必死の表情をとらえた映像に圧倒される。

 激戦を制してアミルは氷塊を手にする。しかし、彼はそれを独占することなく、追い付いてきた少年に手渡す。その少年はさらに後続の少年へ。次々と氷塊は少年たちの手にリレーされていく。美しいシーンだ。セリフなしのスローモーション映像。噴き上がる炎をバックに、アミルは水しぶきを上げながらドラム缶を叩き続ける。何という撮影だろう。何という演出であろう。神々しいまでの映像美に言葉を失う。

 フランソワ・トリュフォー監督「大人は判ってくれない」(59)、ケン・ローチ監督「ケス」(69)に並ぶ、少年映画の傑作である。

(文・沢宮亘理)

「駆ける少年」(85年、イラン)

監督:アミール・ナデリ
出演:マジッド・ニルマンド、ムサ・トルキザデエ、アッバス・ナゼリ

12月22日、オーディトリウム渋谷ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://runner-movie.net/

作品写真:(C)kanoon
タグ:レビュー
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2010年06月24日

「ペルシャ猫を誰も知らない」 バフマン・ゴバディ監督、来日を断念

イラン政府、無許可撮影を問題視 パスポート更新を拒否、帰国求める

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 8月公開のイラン映画「ペルシャ猫を誰も知らない」のバフマン・ゴバディ監督=写真上=はこのほど、無許可撮影を問題視したイラン政府によるパスポート更新拒否を受け、来日を断念した。現在国外に滞在中のゴバディ監督は、日本へ向けたメッセージで「政府は帰国を求めているが、(戻れば)二度とイラン国外へ出られなくなる。(イランでは)素晴らしい才能を持つ若者たちが、厳しい状況のもと、わずかな機材だけで夢に向かって走っている。この映画はイランの若い世代の真実の声だ」と語った。

 「ペルシャ猫を誰も知らない」=写真下=は、西洋文化の流入を規制するイランで、当局の目を逃れつつ、ロックやヒップホップに情熱を傾ける若者を追った青春群像劇。昨年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で特別賞を受賞するなど、海外で高い評価を受けた。しかし、イラン政府の許可を得ずに撮影を敢行したため、ゴバディ監督や俳優は映画の完成後、国外へ逃れたという。

 配給会社に届いたメッセージによると、ゴバディ監督は渡航のためのパスポートの査証(ビザ)ページ増補を申請したところ、すべての在外公館で「イランに戻らなければ発行しない」と拒否された。「私がイランに戻ることは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られなくなることを意味する」として、来日を断念したことを表明した。さらに、現在イラクのクルド人地域に滞在しているとし、「ここを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」と述べている。

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 イランでは映画製作のほか、音楽活動を行う際も政府の許可が必要。「ペルシャ猫を誰も知らない」は「実在の事件、場所、人物に基づいた物語」を撮るため、実際に無許可で活動するミュージシャンを起用。ゲリラ撮影を敢行した。ゴバディ監督は同作品について、「誰も気に止めなかった社会の一部の人々の声を聞いてもらいたかった。素晴らしい才能を持つ若者たちが、厳しい状況のもと、わずかな機材だけで夢に向かって走っている。この映画はイランの若い世代の真実の声だ」と説明している。

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