2013年03月06日

「ベルトルッチの分身」 ゴダール色あふれる異色作、待望の日本初公開

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 イタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ監督の長編第3作で1968年に製作された「ベルトルッチの分身」が日本初公開される。1作目の「殺し」(62)、2作目「革命前夜」(64)のほか、4作目以降も日本ですべて封切られ(うち1作は未公開でビデオ化)、「ベルトルッチの分身」だけが幻の作品だった。ファンには待ちに待った初公開になる。

 21歳で撮った処女作から6年、傑作「暗殺の森」(70)まで2年。映画作家としてほぼ成熟の域に達していたはずだ。ところが、見てみると成熟どころではない。まるで当時の“映研(映画研究会)学生”が撮った8ミリ映画のように、ジャン=リュック・ゴダールの影響があからさまなのだ。ゴダールへの傾倒は「革命前夜」にも見られていたが、劇中の上映作品や会話内容など引用レベルにとどまっていた。ところが、今回はタイトルデザイン、中断される音楽、寸劇仕立てのエピソード、唐突な殺人など、構成から演出までゴダール色に染まっている。

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 2年後、欧州のファシズムと退廃を描いた「暗殺の森」で世界を驚かせる鬼才が、この時期になぜゴダールなのか。「革命前夜」で引用されたゴダールの「女は女である」は61年の作品。その後ベルトルッチが本作を撮った68年まで、ゴダールは疾風怒濤の活躍を見せる。先輩であり同志でもあったゴダールは、見る見るうちに手の届かない存在となっていく。

 ベルトルッチは混乱し、焦りを感じたのではないか。4年ぶりの長編には混乱と焦燥が、ゴダールへの同化という形で表れているようにも思えるのだが――。だからこそ面白い。ベルトルッチの素顔や本心が背後に透けて見えるからだ。溶かされ加工される前の、原型が垣間見えるからだ。その意味ではベルトルッチの核心に触れた作品といえるかもしれない。

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 原作はドストエフスキーの「分身」。真面目な教師と凶暴な殺人者──主人公の青年が2つの人格に引き裂かれるプロセスが描かれる。初期ベルトルッチ作品に共通するモチーフ“分身”を直截的に表現し、作家の原点ともいえるだろう。

(文・沢宮亘理)

「ベルトルッチの分身」(1968年、イタリア)

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:ピエール・クレマンティ、ステファニア・サンドレッリ、ティナ・オーモン

3月9日、シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。「殺し」「革命前夜」と同時上映。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.zaziefilms.com/bunshin/

作品写真:(c)1968 Red films Produced by Giovanni Bertolucci
タグ:レビュー
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2013年03月03日

イタリア映画の新作、今月から相次ぎ公開 「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」「ブルーノのしあわせガイド」

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 イタリアの食や文化を紹介する官民共同キャンペーン「日本におけるイタリア2013年」で、今月からイタリア映画の最新作が相次ぎ公開される。

 3月16日からは「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」。アドリア海を臨む漁師町キオッジャを舞台に、異国から訪れた2人の交流を詩情豊かに描く。美しい詩とともに出会いと別れが語られ、はかない余韻が印象的な作品だ。

 4月中旬からは「ブルーノのしあわせガイド」。年の離れた親友同士が、ある日突然共同生活を始め、実は親子だったと知る。ユーモアあふれる語り口で、観る人の心を優しく包む人間ドラマ。いずれもベネチア国際映画祭、イタリア・アカデミー賞など数々の映画賞を受賞した。

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 さらに6月29日には、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町で特集上映「Viva!イタリア」がスタート。毎年恒例の「イタリア映画祭」で好評を博した「ハートの問題」、「最後のキス」、「もうひとつの世界」の3作品を一挙紹介する。監督3人が“人を愛する素晴らしさ”をそれぞれの視点で描いた傑作だ。

 また、3月2日には同キャンペーンの目玉である「ラファエロ展」が上野・国立西洋美術館で開幕。多くの人々でにぎわっている。

(文・遠海安)

「ある海辺の詩人 小さなヴェニスで」(2011年、イタリア・フランス)

監督:アンドレア・セグレ
出演:チャオ・タオ、ラデ・シェルベッジア、マルコ・パオリーニ、ロベルト・チトラン、ジュゼッぺ・バッティストン

作品写真:(c)2011 Jolefilm S.r.l.- Aternam Films S.a.r.l - ARTE France Cinema

3月16日、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.alcine-terran.com/umibenoshijin/

「ブルーノのしあわせガイド」(2011年、イタリア)

監督:フランチェスコ・ブルーニ
出演:ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ、バルボラ・ボブローヴァ、ヴィニーチョ・マルキオーニ、フィリッポ・シッキターノ

4月中旬、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.alcine-terran.com/bruno/

作品写真:(c)2011 I.B.C Movie

「Viva!イタリア」 公式サイト
http://www.vivaitaly-cinema.com
タグ:告知
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2012年07月21日

「ローマ法王の休日」 世紀の瞬間めぐる 風刺的な悲喜劇

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 ローマ法王、死去。一大事を受け、バチカンで法王選挙(コンクラーヴェ)が開催される。サン・ピエトロ広場には民衆が集まり、世紀の瞬間を心待ちにしている。一方、投票会場のシスティーナ礼拝堂に集められた各国の枢機卿たちはみな必死に祈っていた。「神様、お願いです。どうか私が選ばれませんように」。祈りもむなしく新法王に選ばれたのは、誰も予想しなかったダークホースのメルヴィルだった。新法王は早速バルコニーで大観衆を前に演説しなければならない。だが、内気な彼はプレッシャーに押しつぶされ、ローマの街に逃げてしまう──。

 「息子の部屋」(01)のナンニ・モレッティが監督、脚本、出演した悲喜劇だ。ロン・ハワード監督の「天使と悪魔」(09)も法王選挙をキーワードにしたサスペンスだった。「ローマ法王の休日」は、楽しそうな題名と裏腹に、権威ある職を前に悩み苦しむ枢機卿が描かれる。メルヴィルを演じるのはミシェル・ピッコリ。「ロシュフォールの恋人たち」、「昼顔」、「五月のミル」、「美しき諍い女」など多くの名作で存在感を残した86歳の名優だ。

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 映画は広場で行われる前法王の葬儀で幕を開ける。実際のヨハネ・パウロ2世(05年死去)の葬儀映像が使われた後、枢機卿が列をなして礼拝堂へ向かうフィクション映像へ変わる。うまい導入部だ。世界各国から集まった枢機卿たちは投票用紙に法王にふさわしい人物の名前を書き、投票箱に入れるのだが、責任の重大さに不安でいっぱい。彼らの気持ちを知らない民衆は礼拝堂を取り囲み、お祭り騒ぎで歴史的瞬間を待っている。

 なかなか票がまとまらず投票が繰り返され、本命を抑えて無名のメルヴィルが選ばれる。まったく心の準備していなかったメルヴィル。サン・ピエトロ大聖堂の広場を見下ろすバルコニーで、民衆へのスピーチを行うのが通例だが、大歓声を前におじけづく。

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 部屋に引きこもったメルヴィルをなんとか表舞台に立たせようと、バチカンの報道官は医師にメルヴィルを診断させるが異常は見つからない。報道官はセラピスト(ナンニ・モレッティ)を呼び寄せるが状況は変わらない。新法王の名が発表されないためマスコミも騒ぎ立て、ますます窮地に立たされるバチカン当局。しかし、厳重な警備のすきを突き、メルヴィルはローマの街へ逃げ出してしまう。

 一般に思い描かれる崇高な枢機卿たちを、一人の人間として風刺たっぷりに描く。新法王が決まればすべて他人任せになり、無責任な枢機卿たち。持て余した時間はバレーボールに興じ、「コーヒーを飲みに行きたい」、「展覧会を見に行きたい」と観光客気分まる出し。のん気なことを言い出す始末である。人々を導くはずの枢機卿は重責から逃げ出し、街で出会った様々な人々と交流する。

 しかし、最終的には予想されなかった言葉が重くのしかかってくる。軽い気持ちで作品を楽しんでいた観客は、メルヴィルの最後の言葉に我に返り、幕引きで思いがけず突き放される。戸惑いつつ不安と再び向き合う「迷える羊」となり、法王という存在を考え直すのだろう。

(文・藤枝正稔)

「ローマ法王の休日」(2011年、イタリア・フランス)

監督:ナンニ・モレッティ
出演:ミシェル・ピッコリ、ナンニ・モレッティ、イエルジー・スチュエル、レナート・スカルパ、マルゲリータ・ブイ

7月21日、TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://romahouou.gaga.ne.jp/

作品写真:(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . France 3 Cinema 2011
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2011年12月23日

「ミラノ、愛に生きる」 富豪のマダムと青年の恋 季節感と色彩豊かに

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 ロシア人のエンマ(ティルダ・スウィントン)は、繊維業で成功したレッキ家のタンクレディ(ピッポ・デルボーノ)に見染められてイタリアに渡り、裕福な一族の妻、3人の子の母として何不自由ない生活を送っていた。家長のエドアルド(ガブリエーレ・フェルゼッティ)は、誕生日ディナーの席で後継者に息子のタンクレディと孫のエド(フラヴィオ・バレンティ)を指名。そこへエドの友人でシェフのアントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)がタルトを届けにきた。エンマとアントニオ、初めての出会いだった──。

 出演は「フィクサー」、「ナルニア国物語」シリーズのティルダ・スウィントン。監督と製作はティルダに焦点をあてた短編ドキュメンタリー「Tilda Swinton The Love Factory」のルカ・グァダニーノだ。親友であるティルダとグァダニーノ監督、11年越しの企画。登場人物が着こなす美しいミラノ・ファッションは、今年の米アカデミー賞衣装デザイン部門にノミネートされた。

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 富豪のマダムと息子の友人の愛が、4つのパートに分けられ描かれる。雪降り積もるミラノのクリスマスで始まり、エンマがアントニオと再会する初夏、二人が結ばれる夏のサンレモ、悲劇が起こるロンドン、再びミラノで幕は引かれる。冬から夏に移り変わる季節は、息苦しい上流社会で凍りついたエンマの心を溶かし、開放されていくさまとリンクしているようだ。開放のきっかけは自立した若者。豪邸という鳥かごで生きるエンマは、野性味あふれる青年アントニオに引き寄せられる、しかも相手は息子の親友という禁断の果実。眠っていた女としての本能が蘇る。

 ブルジョワ社会の大邸宅と使用人、美しいファッションと調度品。優雅な暮らしも心のすき間は埋められない。エンマの心を動かすアントニオとの再会を、監督はヒッチコックばりのサスペンス・タッチで描く。サンレモで見かけたアントニオを尾行するエンマの視点と、客観的に彼女の行動を追う別の視点が、スリリングに交差する。せりふを使わず、エンマの高ぶりを代弁するかのごとく、ジョン・アダムスのダイナミックなスコアが激しく鳴り響く。映像と音楽がシンクロしたような緊張感は特筆に値する。

 ミラノの大邸宅で暮らすエンマと、サンレモの自然に暮らすアントニオ。アントニオと愛を交わした代償のように、運命はエンマの一番大切なものを奪い去る。失うものをなくしたエンマは自由の翼を羽ばたかせるため、すべてを脱ぎ捨て一人の女に戻っていく。

 ルキノ・ヴィスコンティ監督的な様式美と、イタリア映画らしい官能を合わせ持つ柔軟な作風。料理や自然の風景を使い、エロティシズムを隠喩的に表現した演出力が冴える。ティルダの透明感あふれる容姿をうまく使い、心の色を失った女性が恋で色を取り戻すまでを描く。大胆なラブシーンも取り入れ、全編イタリア語のせりふでエンマになりきったティルダ渾身の1本である。

(文・藤枝正稔)

「ミラノ、愛に生きる」(2009年、イタリア)

監督:ルカ・グァダニーノ
出演:ティルダ・スウィントン、フラビオ・パレンティ、エドアルド・ガブリエリーニ、アルバ・ロルバケル、ピッポ・デルボーノ、マリア・パイアート、ガブリエル・フェルゼッティ、マリサ・ベレンソン、ディアーヌ・フレリ、ワリス・アルワリア

12月23日、渋谷Bunkamura ル・シネマほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.milano-ai.com/

作品写真:(C)2009 First Sun & Mikado Film. All Rights Reserved
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2011年10月26日

「ゴモラ」 悪が悪を生み育てる イタリア・マフィアの底知れぬ闇

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 イタリア・ナポリを拠点とする実在の巨大犯罪組織“カモッラ”の、恐るべき実態に迫った「ゴモラ」。冒頭のシーンが衝撃的だ。日焼けサロンで紫外線を浴びる数人の男たち。おそらく組織の幹部クラスだろうか。彼らが突然何者かに襲われ、あっという間に射殺されてしまう。なぜ殺されたのか。殺したのは何者なのか。一切、説明はない。ただ、殺害される様子が映し出されるのみである。組織ではそれなりの出世を遂げたであろう男たち。悲惨な末路を映画はいきなり示し、見る者を慄(りつ)然とさせる。

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 しかし、“カモッラ”の真の恐ろしさを描いているのは、むしろ後に展開するいくつかのエピソードである。

 暴力抗争を身近に見ながら育った少年トトは、組織の一員となる夢を実現するが、たちまち苛酷な現実を思い知らされる――。

 ハリウッドのギャング映画に憧れるマルコとチーロは、武器を盗んで有頂天となるが、目に余る行動が組織の逆鱗にふれる――。

 トトは防弾チョッキを着て撃たれる“入団テスト”に挑む。勇気と胆力を証明した彼は、めでたく組織のメンバーとして認められる。だが、テストにパスしたことは、死への近道を選択したも同然なのだ。

 マルコとチーロは、少年期特有の自己過信から、無法な行動をエスカレートさせていく。いきがって女を買おうとするも軽くあしらわれ、結局は大人たちの狡猾なわなにはまり、厄介払いされてしまう。海岸で銃を撃ちまくり、天下を取ったような気分に酔いしれていた二人が、死体となりショベルカーでさらわれる無残さ。

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 彼ら少年たちが暮らすのは、スラム化した巨大な集合住宅だ。“カモッラ”のメンバーや家族が多く住んでおり、ドラッグの密売をはじめ、常にさまざまな犯罪が横行している。

 犯罪が日常化した環境で、彼らが“カモッラ”の予備軍となっていくのは必然的な流れだ。要するに、ここは彼らを一人前の“カモッラ”へと育てるインキュベーター(孵化器)なのだ。こうして“カモッラ”は再生産され続けるのである。

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 さらに“カモッラ”が怖いのは、彼らがあらゆる業界へと触手を伸ばしていることだ。アパレル産業や産業廃棄物処理業に関与し、多額の資金を稼ぐエピソードが語られるが、傍目には実態が見えにくいところが不気味である。誰が“カモッラ”なのかを見分けるのは容易ではない。従って彼らを排除するのは極めて難しい。暗然たる気分にさせられる作品だ。

 ロベルト・サヴィアーノのノンフィクション小説「死都ゴモラ」の映画化。新鋭マッテオ・ガッローネが感傷を排したリアリズムで見事に映像化し、2008年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞している。

(文・沢宮亘理)

「ゴモラ」(2008年、イタリア)

監督:マッテオ・ガッローネ
出演:サルヴァトーレ・アブルッツェーゼ、ジャンフェリーチェ・インパラート、トニ・セルヴィッロ、カルミネ・パテルノステル、サルヴァトーレ・カンタルーポ、マルコ・マコル、チロ・ペトローネ

10月29日、渋谷シアター・イメージフォーラムほかで全国順次公開。作品の詳細は公式サイトまで。

http://www.eiganokuni.com/gomorra
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